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一面には「谷口 感動ゴール」

この五輪の男子マラソンは、最も“惜しかった”レースといわれる。それは森下が最後の、最後に競り負け、あと一歩で戴冠を逃したからだが、あの「事故」さえなければ、ということでもある。転倒後の猛烈な追い上げで、谷口は優勝した黄とのタイム差を1分19秒まで詰めていた。一面に「谷口 感動ゴール」と見出しが躍った、翌々日のスポーツ紙には次のような記事が載っている。

「かりに給水所のアクシデントとその後のオーバーペースの余波を1分30秒のロスと計算する。もしこの魔の瞬間がなかったら谷口は十分、黄(韓国)をもしのぐタイムで栄光のゴールテープを切ったはずだ」(スポーツニッポン1992年8月11日)

「そんな勝負がしてみたかった」

やや贔屓目な分析にも感じるが、次のような後日談を知ると、あながち外れてもいないような気がする。

「3月にカタルーニャマラソンというレースがあり、僕と森下は視察に行きました。オリンピックとほぼ同じコースだったからです。スピードでは森下に勝てない。どうすれば彼に勝てるか。森下を諦めさせるには、モンジュイックの丘を1回上って下る、40キロ手前の地点しかないと考えていました。もちろん森下には内緒です。そのポイントで黄が勝負をかけたのです。もしシューズが脱げずに、僕があの場所にいたら、僕が行く、黄が行く、森下が行く、という展開になっていたと思います。そんな勝負がしてみたかった」(J:COM番組ガイド 東京2020オリンピック特集 二宮清純コラムオリンピック・パラリンピック 奇跡の物語 ~ビヨンド・ザ・リミット~ バルセロナで転倒の谷口浩美金メダルへの秘策があった!?)

モンジュイックの丘にあるモンジュイック城の大砲=バルセロナ  vanhop@Adobe Stock

金メダルへの見果てぬ夢。笑顔の裏に隠された谷口の無念を晴らす選手は今後、現れるのだろうか? 日本マラソン黄金時代の集大成ともいえる、バルセロナ五輪での3選手入賞の快挙は、「こけちゃいました」の名言とともに、もっと語り草になっていいはずだ。

石川哲也(いしかわ・てつや)
1977年、神奈川県横須賀市出身。野球を中心にスポーツの歴史や記録に関する取材、執筆をライフワークとする「文化系」スポーツライター。

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石川哲也
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