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ご老人たちがはく靴がない

ところで、困ったことに今日では若者の体格が大きくなったせいか、私が妥協しなければならない24センチの靴さえ数が少なくなってしまった。デパートのSサイズコーナーに行くと、黒の短靴に限ってはあるのだが、たいていは情けなくなるような古くさいデザインである。要するに今どき24センチの靴をはくのは、相応のご老人であると決めてかかっているらしい。舶来の高級靴などにはまずこのサイズはない。

したがってけっこうシャレ者である私は、24.5センチの靴に底敷を入れ、それでもベタベタと踵を音立てて歩かねばならない。おっさん靴をはくよりはマシなのでそうするのであるが、とても疲れる。

さらに不自由なのは、当節流行のウォーキング・シューズやトレーニング・シューズの類いである。

私は自衛隊経験者特有の「健康病」であるので、年甲斐もない運動を好むのだが、24.5センチの運動靴というものがない。また、職業上取材のためにあちこち歩き回るのであるが、これにしても23.5センチのウォーキング・シューズを使用しなければならないのである。

折良く頭もハゲてしまった。かくて私の涙ぐましい摩頂放踵の努力は、今日も続いている。

ふと思うに、ご年配の方の中には近ごろ靴のサイズがないとお嘆きの向きが多いのではなかろうか。私の同世代に23.5センチの足は少いにしろ、昔はさして珍しいサイズではなかったであろう。

だとすると、物のたとえではなくまことに摩頂放踵してお国のために尽くされてきたご老人たちが、あろうことか今日に至ってはく靴を持たないということになる。

これは由々しきことである。いくたの艱難険阻(かんなんけんそ)を踏破し、戦場を駈けめぐり、焼跡を踏みしめたご老人が、昔日夢のごとき銀座の店頭に立って、はくべき靴を探しあぐねる姿を想像すると胸が痛む。真の福祉社会は、企業が営利を離れてこそ初めて実現できるものではなかろうかと、矮足の私はしみじみ思うのである。

笑い話の続きで不謹慎ではあるが、この原稿を書いている前日、司馬遼太郎先生が亡くなられた。中学生のころ『国盗り物語』に心を躍らせて以来のファンである。いつかどこかでお声をかけていただく光栄を夢見ながら、とうとうお顔を拝見する機会すら得られなかった。

悲しみも喪失感もさることながら、後進のひとりとして足下に礼を尽くす機会さえ得られなかったのは、まこと慚愧(ざんき)に堪えない。要するに、44歳の齢を経てもなお、生前の先生にお会いできるだけの努力を私は怠っていたのだと思う。

初めて知ったのだが、先生の筆名は「司馬遷に遼(はる)かに及ばず」の意であるという。しかしその偉大な業績に思いをいたせば、「司馬遼に遼か及ばず」とうなだれるほかに、お悔みの言葉すら思いつかぬ。

頭がデカいの足が小さいのと、つまらぬことを言っている場合ではないのだが。

(初出/週刊現代1996年3月2日号)

『勇気凛凛ルリの色』浅田次郎(講談社文庫)

浅田次郎

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。

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おとなの週末Web編集部 今井
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