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バブル経済崩壊、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、激動の時代だった1990年代。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルから切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」は、30年近い時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。
この平成の名エッセイのベストセレクションをお送りする連載の第97回は、「破倫について」。

一国の宰相であるらしいバカヤロウ

「人倫」とは、人のふみ行うべき道のことである。しばしば成句として、「人倫に悖(もと)る行い」などというふうに使われる。

人倫に悖る行い、すなわち人の人たる道に背く行為を、「不倫」もしくは「破倫」という。前者は近ごろ、本義を外れてもっぱら一人歩きをしている言葉なので、ここではあえて一般にはなじみの薄い後者「破倫」を用いる。私の述べんとするところは、より語感の強いこちらの方がむしろふさわしいと思う。

以後、一年の掉尾(とうび)を飾り新しき年の始めを寿(ことほ)ぐ合併号に、まこと不穏当な文章を掲げることを、どうか許していただきたい。

私はかつて本稿に、大田昌秀沖縄県知事こそ目に見える正義そのものであると書いた。表現は適切であると信ずる。50年の長きにわたり人のふみ行うべき道を全うし、今また断固として人倫を貫かんとする知事は、神のごとき正義である。

ところがこの稿を書くただいまより数日前、一国の宰相であるらしいバカヤロウが、こともあろうに正義を相手どって法廷で争うという構えを明らかにした。地権者も町村長も県知事も拒否した署名を自らがなすために、必要な法的手順を踏む、ということである。

「バカヤロウ」は「馬鹿野郎」と書く。人倫に悖る行いをする者は人間ではないから、こう呼ぶことに支障はあるまいと思う。つまり日本国民は不幸にして、この一年のうちに村山富市と麻原彰晃という二人の真性馬鹿野郎を知ってしまったのである。

心が畜生なら頭も畜生なみであろう。万がいち読んでもわからないと困るから、馬でも鹿でもわかるように説明する。

政(まつりごと)とはそもそも、民の暮らしを安んずるために行われるものである。内閣も国会も官庁も司法も、その目的を合理的に遂行する機能にすぎない。人類が数千年の間に作り出し、よりよく造り変えてきた一種の機械である。機械を正しく作動させるものは人間であり、その性能が歴史とともに向上すればするほど、人間はさらなる「人倫」が要求される。

県知事は民の暮らしを安んずるという政の原義をもって、不正と矛盾とを正そうとしている。署名を拒否するということは、つまりそういうことなのである。しかし政府は、法の機能をもってこれを掣肘(せいちゅう)しようと企図している。人の心を機械で制御しようとしているのである。このことひとつをとっても、行いはすでに破倫である。

決して下げずとも良い頭を下げてまで願い出た県知事に対して、問答無用に首を刎(は)ねるような政府を、われわれは戴(いただ)いていることになる。政の本義をわきまえている者ならば、人類の機能的精華である日本国憲法の精神を正しく理解している者ならば、少なくとも知事とともに米国に赴き、具体的交渉にかからねばならないはずなのである。

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「米兵よ鬼畜となるな」という切ない檄文...
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おとなの週末Web編集部 今井
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