「米兵よ鬼畜となるな」という切ない檄文
沖縄県民の総意を無視して法的手段を執行するということは、まさに機械のボタンを押す行為であり、そこには人間の尊厳も国家の自立もなく、ただ安保の走狗(そうく)たる破倫のあるばかりである。
沖縄の米軍基地を無くすること、このことにいったいどんな不都合があるのだろう。少なくともいたいけな少女が他国の兵士に凌辱されること、いや、領土の中に他国の兵士が進駐していること自体、沖縄県民ならずともすべての日本国民にとっての不幸である。
この不幸を排除するにあたって、怖れるべき理由は何ひとつないと思う。東京都民も沖縄県民も等しく日本国民である。具体的交渉の結果、国が病むのであれば、甘んじて共に病むのが人の道であろう。仮にそうなったとしても決して失政ではない。
政府は国民の心を知らぬばかりか、国民の力をも信じていないのであろう。戦は愚かしいことであるが、ことの良し悪しはともあれ、われらはかつて世界中を敵に回して戦った、有史以来唯一の民族ではなかったか。
たとえ戦に敗れても、日本国民の本質に変容はない。1ドルが200円を切れば国家は破綻すると言われたのに、100円の今日でもなお企業は立派にメイド・イン・ジャパンを世界に輸出し続けているではないか。焼け野原の神戸を駆け回ったボランティアは、戦も何も知らぬ若者たちではなかったか。すなわち不変の心と勇気とを持った国民は誰ひとりとして沖縄の現状を良しとはしておらず、国家の機能ばかりが臆しているのである。
翻って言えば、現在の政府は50年前に沖縄を本土決戦の捨て石とした大本営の作戦を、いまだに踏襲しているのである。このような破倫行為の共犯者になるくらいなら、英明なる日本国民のすべては日本人の矜(ほこ)りにかけて、いや人間たるおのれの尊厳にかけて、おのおのの豊かな生活を放棄するはずである。兄弟の不幸の上に胡座(あぐら)をかいて幸福に生きようなどという卑しい日本人は、ただの一人もいない。
さて、私がかくもするのには、公筆を預かる者としての理由がある。
本稿に沖縄問題を書き始めて以来、毎日のように全国の読者から同意同感の書簡をいただいている。堆(うずたか)く机上に積まれたそれらを読むにつけ、こうして書かずにはおられない。
ここに一通の内容を紹介したいと思う。沖縄県出身の23歳の女性からの手紙である。
彼女は高校卒業まで住んでいた沖縄のことをあまり知らない、と悔いる。祖父は戦争で亡くなっているのだが、それは当たり前のことなので特に何も感じない、と言う。米兵に街でウィンクされるのも、声をかけられるのも、当たり前なのだと言う。
親類に混血の女の子がいるのだが、それすらべつに特別のことではなかったので、その子の父親に招かれて基地の中に入ることを、むしろ楽しみにしていたのだと言う。
だが――その米兵には本国に家庭があった。子供は任地での愛人の子だったのである。
父が帰国してしまったあと、母親が死んだ。
「その時、アメリカの父親にファックスを送ったが返事が無いと目を伏せて言いました。その時18歳か17歳だったその娘は、母親が煙になっていくその焼却炉の前に、1人でジッと座っていました――」
50年という長い時間の中で生まれ育った彼女らは、すでにすべてを「当たり前の日常」としか認識しえない。だが、米兵の不実の子として生れ、母の遺体を焼く焼却炉の前にジッと蹲(うずくま)る少女の姿が、人間として当たり前の日常であろうはずはない。
彼女の小さな背中を思いうかべるとき、かつてわけもわからずに悲劇に見舞われた多くの沖縄の少女たちの姿が、同時に想起される。
生きんがために白旗を掲げて、よちよちと米兵に歩み寄る少女。だぶだぶの軍服を着せられ、ふるさとの青空にうつろな瞳を見開く少女の骸(むくろ)。そして、涯てもないさとうきび畑の道を、凌辱された体をひきずって歩く少女の姿。
一番弱い者がなぜこんな目に遭わねばならぬのかと激怒した大田知事は、彼女らの父母になりかわってそう言っているのである。この言うにつくせぬ声を一顧だにせぬ破倫を、われわれは看過してはならない。
手紙はさらに言う。
「――沖縄はあの小さな土地で、あれほどの基地面積です。ほんとに広いのです。でもそのおかげでお金をたくさん頂いている県民もいます。考えれば考えるほど、良い方向へはどうやってもっていけばいいのか……」
抗議活動のプラカードに、「米兵よ鬼畜となるな」という切ない檄文(げきぶん)があったことを、どうか思い出していただきたい。基地の存在を厭(いと)いながら一方ではそれを糧(かて)とせねばならなかった沖縄県民の苦渋の声そのものである。
手紙の末尾の、「読んで頂けたのなら、ありがとうございました」という一文を読んだとき、私は涙が出た。ありがとうございましたと言われても、売れない小説家にできることは他に何もない。力のある関係者ひとりひとりの良識に期待をするばかりである。
かつて大田昌秀氏が摩文仁(まぶに)の巌(いわお)に刻んだ「敗戦」の二文字を、われわれはどうしても消しに行かねばならない。
人間としてのつとめである。
(初出/週刊現代1996年1月6・13日号)
浅田次郎
1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。