逸話がいっぱいある!! S13シルビアは日本のクーペモデルとして空前の人気モデルになったが、それとリンクするかのような逸話を簡単に振り返ってみたい。 ■新車購入者の70%が20代の若者これは日産が明言したわけではないが、…
画像ギャラリー今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第5回目に取り上げるのは2ドアクーペモデルとしては空前の大ヒットとなった5代目の日産シルビア(以下型式のほうが認知されているので、S13シルビアとする)だ。
シルビアが激変したのは事件だった!!
S13シルビアは1988年5月にデビュー。1988年と言えば、日産は1月早々に初代シーマ(正式社名はセドリックシーマ/グロリアシーマ)を発売し、シーマ現象を巻き起こすなどイケイケ状態だった。
シルビアは日産のスペシャルティクーペで、S13の前のモデルのS12が大不振。1980年代前半は、格納式のリトラクタブルヘッドライトにしておけば、カッコよく見えてそこそこは売れるというのが定説だったが、S12は蚊帳の外。一躍デートカーの盟主となった2代目ホンダプレリュードにまったく歯が立たなかったが、S12シルビアは日産党がアツ~く語るクルマで、根強いファンは少数ながら存在していた。
2代目プレリュードの登場もあって1980年代以降、ホンダ車はデザインが洗練されていてオシャレというイメージが定着。それに対し日産車は、走りはいいけどデザインが武骨で硬派と言うものだった。
それを覆したのがS13シルビアだった。今見てもエクステリアは、カッコよくて、美しいだけでなく、気品も感じさせる。失礼な話、日産があれほどまで流麗なクーペを登場させるとは想像もしていなかった。若者がS13シルビアに狂喜したのは言うまでもない。
デザインのイメージスケッチも公開されたが、私自身、イメージスケッチよりも実車のほうがカッコいいと思ったのはS13シルビアが初めてだった。
賛否はあるが日産がチャレンジング!!
シルビアは日産が新技術を多数盛り込んだのでも有名だ。
FR(後輪駆動)用の新開発マルチリンクサスペンションもそのひとつで、1990年代までに技術世界一を目指すという日産の『901運動』のもと開発が進められた。そのほか四輪操舵のHICASII(ハイキャスツー)もオプション設定されていた。
エクステリアでは、プロジェクターヘッドラインプの採用も新しさが強調されていた。ただ実際に使うと絶望的なまでに暗くて不評だったが……。
イメージカラーはこれまでの日産にないライムグリーンとグレーのツートンで、女性デザイナーが提案して採用されたことを日産はアピール。イメージカラーは売れないという定説どおりカタログ映えする色だったが売れなかった。
グレードについてもこれまでの泥臭い日産から脱却し、トランプの絵札由来のJ’s、Q’s、K’sとしたのも若者をターゲットにした鞍馬らしさが出ていた。一番人気は中間グレードのQ’sで、廉価版のJ’sはデートカーというキャラクターは見栄が張れないと意味がないからもショボいと敬遠され売れなかった。
あと、CMのBGMで使われていた英ロックバンドのプロコル・ハルムの『青い影』も超カッコよかった。1967年、つまり私が1歳の時に世界的にヒットした曲だったようだが、今でも『青い影』を耳にすると真っ先にS13シルビアを思い出す人も多い。キャッチフレーズの『ART FORCE SILVIA』(アートフォース)も直訳すれば『芸術の力』と大したことは言ってないのだが、デザインが美しいだけに説得力があり、妙にカッコよく耳に響いたのもだ。
プレリュードを撃沈
S13シルビアは当時でも貴重だったFR(後輪駆動)で登場。またまたFR心棒者の話か、と侮るなかれ。
S13シルビアが登場した1988年の状況を見ると、S13シルビア登場の前年の1987年にフルモデルチェンジした3代目プレリュードは当然FF(前輪駆動)だし、トヨタセリカも1985年に登場した4代目でFF化された。さらにひとクラス下のトヨタカローラレビン/トレノも1987年に登場した5代目(AE92)でFFとなってしまったため、手頃なFRクーペはS13シルビアだけだったのだ。
シルビアの直接ライバルは、前に挙げた3代目プレリュード、4代目セリカで、デザインはどのモデルも評価が高く、S13シルビアの流麗さが好きな人もいれば、プレリュードのシャープでスッキリした感じが好きな人もいたし、セリカの龍面形の美しさに心酔した人もいた。しかしFRはS13しかない魅力だった。ここが重要だ。
2代目プレリュードの登場から1990年代初頭までは、長きにわたりデートカーが日本で燦然と輝いていたが、その主役はホンダプレリュードだった。しかし、美しいデートカーとしての魅力に、FRスポーツの魅力を加味したS13シルビアは、”走り屋需要”が加味された結果、王者プレリュードを駆逐する人気モデルとなったのだ。
では実際S13シルビアがどのくらい売れたのかを調べてみてビックリ。前述の不人気だったS12シルビアが約1万7500台(月販平均307台)だったのに対しS13シルビア約31万1000台(月販平均4785台)で、なんと18倍弱!! と飛躍的に販売を伸ばした。
では対ライバルはどうか? S13シルビアが最も売れたのがデビュー翌年で8万1200台(月販平均6767台)の数字と比べてみると、同じ年にプレリュードは4万1659台、セリカは1万1997台と大差をつけている。さらにこの差は年々広がりS13シルビアがデートカーマーケットを席巻したのだ。
それまで、右へ倣えのように女子大生はプレリュード好きを公言していたが、S13シルビアが登場したら掌返し。当時大学生の私も、女性の気移りの恐ろしさを痛感したものだ。
逸話がいっぱいある!!
S13シルビアは日本のクーペモデルとして空前の人気モデルになったが、それとリンクするかのような逸話を簡単に振り返ってみたい。
■新車購入者の70%が20代の若者
これは日産が明言したわけではないが、当時巷で都市伝説のように言われていたこと。クルマの購入平均年齢は50歳くらいということを考えると驚異的な数字で、後にも先にもこんなに若者にウケたクルマはないんじゃないだろうか。
■シルビアからシルビアに買い替え
S13シルビアは1988年にデビューした時は、エンジンは1.8L、直4のNA(過給なし)とターボを搭載していたが、1991年にエンジンを2Lに排気量アップ。すると、1.8Lよりも高性能な2Lエンジンを求めて、初期型のS13シルビアオーナーがこぞって後期型の2Lモデルへの買い替えが殺到した。今ではクルマ買い替えサイクルは新車降雨入後の場合、7年を超えていることを考えるとこれまた驚異的なこと。
■スワップが人気
S13シルビアにはコンポーネント(構成部品)を共用する180SXが存在した。シルビアがノッチバッククーペ(トランクが独立したクーペ)で固定ヘッドライトだったのに対し、180SXはハッチバッククーペ(リアハッチを持つ)でリトラクタブルヘッドライトだった。
そんな兄弟車の2台を複合させた、いわゆるスワップモデルの人気が高かったのもS13の逸話のひとつ。180SXにシルビアのAピラーより前の外板パーツを装着したシルエイティ、その逆のシルビアに180SXのAピラーより前の外板パーツを装着したワンビアの両タイプが存在したが、人気が高かったのはシルエイティだった。これはデビューから時間が経過し、中古車のタマが増えてから顕著になった。
■S13の下取り車にプレリュード
1980年代から1990年代初頭は新車の買い替えサイクルが早かったが、S13シルビアの新車を購入する際の下取り車にプレリュードが一番多かった、というのもライバルを駆逐した証といえる。
■マイチェン後のリアスポイラーが不評
S13シルビアは前述のとおり、マイナーチェンジでエンジンを換装したが、デザインは好評だったためほとんど手を入れなかった。手を入れたのはアルミホイールのデザインとオプションで設定されていたリアスポイラーくらいだったが、その新型のアスポイラーのデザインが不評で、発売当初は前期型のリアスポイラーの需要が高まったという逸話もある。
これらの逸話は一部だが、S13シルビアはホントに稀有なクルマだったことがよくわかる。S13シルビアを新車で買って乗っていた人、中古で買った人、欲しいと思いながらも買えなかった人などそれぞれだと思うが、懐かしんでくれたはずだ。
【5代目(S13型)シルビアK’s主要諸元】
全長4470×全幅1690×全高1290mm
ホイールベース:2475mm
車重:1120kg
エンジン:1809、直列4気筒DOHCターボ
最高出力:175ps/6400rpm
最大トルク:23.0kgm/4000rpm
価格:188万6000円(5AT)
【豆知識】
S13シルビアとエンジンをはじめとする基本コンポーネントを共有する兄弟車で、S13から1年遅れの1989年5月にデビュー。リトラクタブルヘッドライトのハッチバックスタイルでシルビアと差別化されている。走り屋からはフロントが重く、リアの開口部により剛性が不足していると不評だった。1993年にシルビアはS14型にフルモデルチェンジしたが180SXは継続販売された。S14シルビアが3ナンバーサイズに大型化されて人気を落とす一方、5ナンバーサイズの180SXが人気となったのも懐かしい。
市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。
写真/NISSAN、ベストカー