カッコいいと美しいは別!?
私について言えば、実車を目にした時も丸っこいデザインのクルマだな、程度にしか映らなかったが、友達からマヨネーズみたいな形のクルマと言われて妙に納得。私はマヨネーズを見てカッコいいと思ったことがない。だからというわけではないが、初代ピアッツァをカッコいいと思ったことはなかった。
それは今でも同じなのだが、とてもキレイで美しいと思うようになった。ガキの頃はクルマのデザインの評価基準は、カッコいいか、カッコ悪いかの二択しかなかったが、酸いも甘いも経験した現在は、美しいかどうかという基準が加わったからだろう。
ターゲットは大人
ピアッツァのキャチコピーは「シニア感覚。」
確かな目をもち、豊かな手触りを楽しむ人がふえてきた。
シニアな時代に、誕生ISUZUピアッツァ。ジウジアーロ会心のフォルム、触れる未来のコックピット。
フルマイコン制御のDOHCエンジンにはオーバードライブ付き
4速フルオートマチックも用意される。
ピアッツァ、車もここまでシニアになれる。
これはデビュー時の広告に書かれたウンチクだ。ちょっとスカした感じ。
そう、初代ピアッツァのターゲットは”大人”。それもただ歳を重ねているだけでなく、”いいものを知っている”ことが最低条件。つまり子どもや素人は鼻から相手にしていなかったのだ。そう考えると、初代ピアッツァのデザインの優秀さが理解できなかったのも無理のないことだったんだろう。
TV CMは当時気鋭の女性ジャズシンガーの阿川泰子さんを起用し、曲は『She~Senior Dreams(シニア・ドリーム)』だった。当時人気だったこともあり、かなり話題になっていたように思う。私の父親は、クルマよりも「阿川泰子は色っぽい」と言ってご満悦だったが、当然大人の女性の色香など中学生の私には理解できず。曲も同じだ。
ピアッツァよりもソアラ
初代ピアッツァは鳴り物入りでデビューしたものの、販売面で成功したとは思えない。ターボの追加、ドイツのイルムシャー、イギリスのハンドリング・バイ・ロータスといった走りを磨いたモデルを追加したが奏功せず。
「見た目(顔やスタイル)だけでは食っていけない」とよく言われるが、実際に芸能人でも美形、スタイルがいいだけで大成した人はごくまれ。クルマ界ではピアッツァがこれにあたるということだろう。
あと、時代にマッチしているかも重要。1981年といえば、初代トヨタソアラがデビュー。その後2代目トヨタセリカXXや2代目ホンダプレリュードがデビューしたが、私も友達もソアラ、セリカXX、プレリュードはカッコよく見えたため興味津々だったが、初代ピアッツァはカッコいいと思わなかったので興味の対象外で話題に上ることもなかった。それは世の大人たちも同じだったのだろう。ピアッツァよりもソアラだったのだ。
あとは価格。当時日本車として贅を尽くしていた初代ソアラが2Lなら175万4000円~でトップグレードの2.8Lでも266万7000円だったのに対し、2Lのピアッツァは全車200万円超でのトップグレードは255万5000円という強気の値付け。ならカッコよさがわかりやすいソアラにするか、となって当然で勝負にならない……。
デビュー時期が早すぎた
日本車は80年代初期に大きな飛躍を遂げるのだが、ユーザーが望んだのは突き抜けた美しさではなく、突き抜けた性能だった。だから初代ピアッツァはクルマ好きと呼ばれる大人たちの心をつかむことができなかったのではないか。
初代ピアッツァは1981~1991年と長期にわたり販売された。ただしバブルのイケイケ時代には「個性派ではあるが、売れないクルマ」というイメージが定着。そういう意味では、デビュー時期が6~7年遅ければ、バブル期に華々しく登場していればまったく違う展開になっていたかもしれない。
実際に初代ピアッツァは、いろいろなバリエーションモデルが開発されていた。1985年にオープンカーのピアッツァコンバーチブル、1987年にステーションワゴンタイプのピアッツァスペーススポーツをそれぞれ東京モーターショーで公開しているが、ピアッツァの販売不振により市販化に移されることはなかった。
初代ピアッツァは美しいのに理解されなかった悲運のクルマだった。
【ピアッツァXE(4AT)主要諸元】
全長4310×全幅1655×全高1300mm
ホイールベース:2440mm
車重:1200kg
エンジン:1949cc、直列4気筒DOHC
最高出力:135ps/6200rpm
最大トルク:17.0kgm/5000rpm
価格:255万5000円(4AT)
【豆知識】
日本の老舗時計メーカーであるセイコーとジウジアーロのコラボレーションは1983年に「4輪車のドライバー、2輪車のライダーの腕に似合う」とコンセプトにスタートして、世界初のアナログクォーツクロノグラフをはじめ4モデルが販売され人気となった。そのなかで、右に20度傾斜したドーム型のディスプレイが斬新なモデルが、2018年に発売から35周年を記念して、黒、シルバーそれぞれ3000本限定で復刻(スペックは進化)販売された。
市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。
写真/ISUZU、ベストカー