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スペーシアXで日光へ

昭和の時代、皇室の方々が日光を訪れる際には、天皇、皇后は国鉄、皇族方は東武鉄道をご利用になられていた。皇室と日光とのつながりは、1893(明治26)年に日光山内御用邸が創設されたことにはじまる。すでにJR日光線が1890(明治23)年に開業していたこともあり、明治天皇の皇女が避暑に訪れ、翌年には嘉仁皇太子(のちの大正天皇)も避暑に訪れた。1898(明治31)年には、日光田母沢御用邸が完成し、以来、日光は“天皇の避暑地”として名を馳せるようになった。

皇族方が病気療養で日光に滞在される大正天皇を見舞うため、秩父宮雍仁(やすひと)親王や高松宮宣仁(のぶひと)親王が、東武鉄道の特急を利用しており、皇室と東武鉄道とのつながりも歴史がある。

今回、上皇ご夫妻が利用されたのが、東武鉄道の最新型特急「スペーシアX」であった。浅草駅から臨時に仕立てられた“お召列車”に乗車された上皇ご夫妻は、グリーン車に相当する車両ではなく、普通車である「スタンダードシート」車両に乗り込まれた。“特別扱い”を好まれないとされる、上皇陛下らしいお振る舞いだった。日光まで1時間46分の鉄道旅。ご夫妻は、お座席に仲良く並ばれてお座りになった。流れゆく車窓を見ながら、どんな会話に花が咲いたのであろうか。

乗り込まれた車両で、東武鉄道から車内設備のご説明をお聞きになる上皇ご夫妻=2024年5月28日、浅草駅
座席は、普通車グレードの「スタンダードシート」をご利用になった=2024年5月28日、浅草駅
上皇ご夫妻が使用されたスタンダードシート。普通車に相当する座席だった。このほかにグリーン車に相当する「プレミアムシート」や、「コックピットスイート」「コンパートメント」「ボックスシート」といった個室も用意されていたが、いずれも使用されることはなかった=2023年7月2日(東武鉄道南栗橋車両管区春日部支所)
“お召列車”として使用された東武鉄道の最新型特急「スペーシアX」N100系。車体塗色は、日光東照宮陽明門に塗られた「胡粉(ごふん)」に着想した「白」で、光線の具合により青白く見える=2023年7月2日(東武鉄道南栗橋車両管区春日部支所)

いろは坂を抜けて中禅寺湖畔へ

上皇ご夫妻が日光へ入られて、最初に向かわれたのは「日光田母沢御用邸記念公園」だった。庭園を散策されるご様子は、夕方のニュース映像で広く知れ渡ることとなった。夕方には、いろは坂を通り抜け中禅寺湖畔へ移動された。しかし、その後もご日程が発表されることはなく、中禅寺湖周辺の住民も、「どこへ行けばお会いできるかわからない」と、戸惑っている様子だった。

ご夫妻は、翌5月29日に日光国立公園の戦場ヶ原などを訪れたが、完全なるプライベートでの散策だったため、報道陣もシャットアウトとなった。中禅寺湖畔にあるご宿泊されたホテルも、全館貸し切りとして通常営業は行なっていなかった。

上皇ご夫妻は、5月31日まで滞在され、東武日光駅発のお召列車で帰京の途に就かれた。

日光田母沢御用邸記念公園をあとにする上皇ご夫妻が乗られた御料車。正門の周囲に奉迎者の姿はなかった=2024年5月28日、日光市本町
奥日光のシンボルである「中禅寺湖大鳥居」を通過する上皇ご夫妻のお車列=2024年5月28日、日光市(中禅寺湖東岸)
降りしきる雨の中、御料車の窓を開けて出迎えた住民にお応えになる上皇ご夫妻=2024年5月28日、日光市(中禅寺湖東岸)

文・写真/工藤直通

くどう・なおみち 日本地方新聞協会皇室担当写真記者。1970年、東京都生まれ。10歳から始めた鉄道写真をきっかけに、中学生の頃より特別列車(お召列車)の撮影を通じて皇室に関心をもつようになる。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物を通じた皇室取材を重ねる。著書に「天皇陛下と皇族方と乗り物と」(講談社ビーシー/講談社)、「天皇陛下と鉄道」(交通新聞社)など。

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