愛の言葉を遺して去ったミルク
夏の終り、私の溺愛していたミルクが消えた。
ミルクは拾ってきたころから牛乳が好きであったので、ミルクと名付けた。脱脂綿に含ませた牛乳を、母の乳房にすがるようにしてよく飲んでくれた。そのせいで、よもや育つまいと思われたものが生き延びた。
しかし、やはり長じても体は小さかった。そのうえひどいブスであった。ブスの深情けで、私にはよくなついた。
いや彼女はたぶん、1個の女性として私のことを愛してくれていたと思う。夜は私の首にまとわりついて眠り、昼間はほとんど、肩の上に乗っていた。原稿を書いているときも、ずっとそうしていた。
四十肩になって、右の肩が痛いと言うと、左の肩に乗った。それでも夜にはちゃんと右の肩に体を寄せて、温め続けてくれた。
ミルクは死んだと思う。
生来が弱い猫であったから、しばしば病院に行った。たいそう頭が良く、そこがどこであるか、獣医が誰であるかを認識しており、診察に際しては実に神妙にしていた。
餌を食べなくなり、めっきりと痩せてしまったので病院に連れて行ったところ、その日に限って珍しく嫌がった。ことに獣医が、ちょっと高価な薬ですけれどと言ってインターフェロンを注射しようとしたところ、激しく抵抗した。
帰り途、たそがれの公園のブランコに乗りながら話し合った。
「あたし、もういいよ。8年も生きたんだから…」
ミルクは私の腕の中で、たしかにそう言った。
「なに言ってるんだ。金のことなら心配するな。俺は8年前とはちがうぞ」
「でも、自分の体のことは、自分が一番知ってるわ。注射なんて、するだけムダよ」
「治してやるよ。今までだって、ちゃんと治ったじゃないか」
「もう、いいってば」
ミルクは私の手をすり抜けて逃げてしまった。
それきり1週間も行方が知れなかった。あちこち探しあぐねてあきらめかけたころ、真夜中に愛犬パンチ号が吠えた。書斎の窓を開けると、真暗な塀の上にミルクが座っていた。骨と皮ばかりの姿であった。
話しかけても、じっと私を見つめるだけで、答えてはくれなかった。
たくさんの猫と暮らしてきて、こういうことはいくどもあった。情の深い猫は別れを告げにくるものなのだ。
あたりには秋虫がすだき始めていた。
よろよろと立ち去るとき、ミルクは虫の音よりもか細い声で、ひとことニャアと鳴いた。
「さよなら。ありがとね」
と、ミルクは言ったのだった。
それが彼女の、できうる限りの真心であったにせよ、そんな言葉は聞きたくなかった。
ミルクは月あかりの薮に消えてしまった。呆然と立ちすくみながら、8年前の出会いのことばかりを思い出した。母の乳にすがりつくように、脱脂綿を吸ってくれた。あれほどけんめいに生きようとし、育とうとしたのに、どうしてこんなにも簡単に命を投げ出してしまうのだろうと思った。
だが、こうも思った。生きるということは本来そういうものなのかも知れない。人間ばかりが、その潔さを忘れてしまっているだけなのだ。
ミルクの姿はどこにも見当たらなかった。夜が明けてもういちど近所を探してみたが、どこにもいなかった。
さよなら、ありがとね。こんな愛の言葉を遺して、その存在をあとかたもなくかき消すような死に方は、人間には決して真似はできまい。
ミルクが死んだという確証はない。おそらく、どこかで生き永らえているかも知れないという希望を私の胸に残して、彼女は死んでくれたのだろう。
人間は最も愛を忘れた動物だ。
(初出/週刊現代19966年10月5日号)
浅田次郎
1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。