×

気になるキーワードを入力してください

SNSで最新情報をチェック

ついに夢の体重60キロを計測!

ところで、私は数年前に「高脂血症」を宣告されて以来、ダイエットにこれ努めてきた。「とりあえず60キロを目標にしましょう」と医者は言ったが、誓いはほぼ5日後には破棄され、トップスのチョコレートケーキ1本食いを始めてしまった私であった。

これはいかんと反省して、しばしば糖分と脂肪分を控えたのだが、やはり5日後にはトップスのチョコレートケーキを1本食うというていたらくを、数年間続けてきたのである。宣告前には1日1本を日課としていたので、まあ努力といえば努力ではある。

それを考えれば、今回の夏ヤセは快挙であると言えよう。何しろさしたる努力はせず、任意の生活がはからずもダイエットを成功させたのである。

——さて、前行までを書いたところで私は何だかものすごく得をした気分になり、突如として銭湯に行ってきた。

いま書斎に戻って続きを書き始めたところである。まずはご報告。8月2日午後4時20分現在、馬体重じゃなかった私の体重はさらに減少し、ついに夢の60キロを計測しておったのである。

たしか医者は、60キロになれば脂肪肝は必ず改善されると言っていた。うむ、そういえばちかごろ、歯を磨くときオエッとはならず、腹部の湿疹(しっしん)も出ず、皮膚の色ツヤも良い。

思えば60キロという体重は、今を去ること四半世紀前の陸上自衛官時代と同じである。高カロリーの糧秣(りょうまつ)をくらい、山川を跋渉(ばっしょう)してそれを余すところなく燃焼させていたころの、理想体重なのである。

もちろん同じ肉体を取り戻したなどとは言わない。かつて鋼のようであった胸はマシュマロのようである。サラブレッドの後肢のようであった足は、棒杭のようである。砦に積み上げた土嚢(どのう)のようであった腹筋は、何にたとえようも、ぜんぜん見当たらない。おまけに全体を、ふんわりと色白の脂肪が被(おお)っている。

視覚的にはたしかに醜い。だが、とにもかくにも25年前と同じ体重をついに取り戻した。

あとはこれ以上の体重の減少を、どんなに食欲がなくても必ず食えるトップスのチョコレートケーキで食い止めればよろしい。そう、まさに食い止めるのである。

そして明日から毎月恒例の京都取材に行っても、なるたけ炎天下は歩き回らずに夜の祇園でウーロン茶を飲みたおし、ホテルの冷房をめいっぱい効かせてぐっすり眠ればよい。なおかつ要すれば、帰京後すみやかに都内のホテルに入り、所在不明のままファックス仕事をしつつ、秋を待つ。

そういえば、体重とはぜんぜん関係ないかもしらんが、ほぼ1年間猖獗(しょうけつ)をきわめていた四十肩が、ケロリと治った。

本稿にてその悩みを打ちあけた後、全国の同病読者からたくさんの有難いお手紙を寄せられ、さまざまの自家治療法を教示していただいた。その結果、ついにケロリと治ったのである。角度によって多少の痛みは残っているが、あのうずくまるような激痛からは完全に救われた。

さらに、これは体重の減少に伴う肝機能の改善とたぶん関係があると思うのだが、長年悩まされていた「胸ヤケ」もウソのように治った。

かつては食後ただちに制酸剤を用いねばならず、ウーロン茶のかわりにペリエ(フランス製の炭酸飲料で、知る人ぞ知る胸ヤケの特効薬)を牛飲せねばならなかった。しかし今や油物をヤマのように食っても、胃壁はビクともしない。

四十肩も治り、胸ヤケもせず、中性脂肪値も下がったともあればもはや怖るるものは何もない、という気がする。

このままじっと暑さを耐え忍んで、営業仕事はなるたけ出版社に任せ、季節のないホテルの密室で遅れた原稿を書くとしよう。

——いま、嬉しさのあまりペンを置いて、体重が夢の60キロになったことを家人に報告した。ここだけの話だが、家人の体重はほぼ私と同じレベルであり、当然ダイエットには腐心している。いささか当てつけがましくもあるが、私は事実をありのままに伝えた。

と、家人はダンベルを握る手を止め、突然こわいことを言った。

「1ヵ月で8キロ?…そりゃふつうじゃないわ。ついに肝癌よ」

明日、京都へ出発する前に、病院へ行く。

(初出/週刊現代1996年8月31日号)

『勇気凛凛ルリの色』浅田次郎(講談社文庫)

浅田次郎

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。

icon-gallery
icon-prev 1 2
関連記事
あなたにおすすめ

関連キーワード

この記事のライター

おとなの週末Web編集部 今井
おとなの週末Web編集部 今井

おとなの週末Web編集部 今井

最新刊

全店実食調査でお届けするグルメ情報誌「おとなの週末」。11月15日発売の12月号は「町中華」を大特集…