バブル経済崩壊、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、激動の時代だった1990年代。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルから切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」は、30年近い時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。
この平成の名エッセイのベストセレクションをお送りする連載の第116回は、「オーバーワークについて」。
初日大坂往復、2日目写真誌密着&文学賞授賞式出席
9月19日(木)。正岡子規命日。今東光命日。
午前5時就寝。午前7時起床。血圧90〜60。やや不整脈。ただちにシャワーを浴び体重測定。夏場8キロ減のまま回復せず。
万が一にそなえ家族犬猫に永訣を告げて東京駅へと向かう。
金持版元「駿河屋」の番頭に両脇を支えられつつ下阪。途中、携帯電話に「音羽屋」より大重版の吉報あり、血圧少し戻る。続けて「汐留屋」より既刊3冊重版とのこと、不整脈なおる。
新大阪駅到着後、プラザホテルにて憧れの小松左京先生と対談。すばらしい記憶力に驚愕。溢れ出るディレッタンティズムに感嘆。対談というより、有難く拝聴。
夕刻、帰途につく。新幹線個室にて明20日締切予定の原稿執筆。その間、携帯電話鳴りっぱなし、遅々として進まず。目の前がまっ暗になったと思ったら、トンネルであった。
夜半、自宅に生還。失神するように仮眠。
9月20日(金)。彼岸の入り。
亡父夢枕に立ち、墓参に来いと催促。ケッ、墓参りに行くより前(め)ェに。そっちに行っちまいそうだぜ、と悪態をつく。
午前1時就寝、午前5時起床。再び脈拍不整。ビタミン剤、胃薬、栄養ドリンク、その他何だかわからん薬をまとめて服用。少々夢見が悪かったので、墓所の方角に端座し、家訓奉読ののち執筆。
午後2時、おめかし。なるたけ健康そうに見えるディオール&カルバン・クライン。銀座へすっ飛ぶ。車中、なぜかトルーマン・カポーティ夢に現わる。おまえの顔なんて見たくない、ヘップバーンはどこだと罵れば、突然ムーンリバーを唄いつつ、アンディー・ウィリアムス出現。すわ生霊か。ともかく夢見悪し。
日航ホテルロビーにて「音羽屋」写真週刊誌の一団と会い、インタヴュー。これより3日間にわたり密着取材というそら怖ろしい企画。プレッシャーのあまり嘔吐。頻脈。
午後5時、クラブ「早苗」にて写真撮影。ウーロン茶を牛飲。脈拍やや安定。
午後6時、一団に支えられて帝国ホテルへ。江戸川乱歩賞授賞式に出席。「紀尾井屋」の番頭現われ、月末締切の短篇を大幅増枚せえと言う。血圧、急激に降下。
と、そこに天使の如き藤原伊織氏現われ、福音を授けらる。何となく幸福な気分になる。
と、そこに悪魔の如き「京橋屋」大番頭現われ、6月締切のままほっぽらかしの原稿催促。再び血圧降下。その後、天使と悪魔こもごもに現われ、パニック。すべての罪を笑ってごまかす。
午後7時、混乱のさなか「汐留屋」大番頭とともに離脱に成功。東京ドームへと向かう。途中、密着取材の写真週刊誌一団の追跡を振り切る。
ネット裏にて巨人vs.中日戦を観戦。任意の顧客となってバカッ騒ぎをする。しかし、吉村の代打ホーマーに歓声を上げて立ち上がったとたん、前方よりフラッシュ炸裂。満員のスタンドのただなかでポーズをとらされ、ものすごく恥ずかしい思いをする。聞きしにまさる写真週刊誌のしぶとさに呆然。
ジャイアンツめでたく勝利し、群衆とともにドームを出れば、篠(しの)つく雨であった。南方海上に台風接近すという。とっさにシメシメこれで明日の北海道行きは中止だな、とほくそ笑む。
銀座にて待つ、という「紀尾井屋」との約束を反古(ほご)にし、「汐留屋」とともに新宿に至り、パークハイアットで食事。午前1時帰宅。