上皇陛下は、第125代の天皇として即位すると「できるだけ早い時期に国内の各地を訪問したい」と話された。以来、平成の30年と4か月間で訪れた47都道府県は2巡以上、500の地域を優に超えた。2016(平成28)年の“ビデオメッセージ”(象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば)のなかでも、「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じてきました。」と、みずからの思いを語られた。皇太子時代の昭和から平成年間にかけて、北は北海道利尻島から南は沖縄県与那国島まで、たくさんの島々を訪れた軌跡を追うことにしたい。
画像ギャラリー上皇陛下は、第125代の天皇として即位すると「できるだけ早い時期に国内の各地を訪問したい」と話された。以来、平成の30年と4か月間で訪れた47都道府県は2巡以上、500の地域を優に超えた。2016(平成28)年の“ビデオメッセージ”(象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば)のなかでも、「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じてきました。」と、みずからの思いを語られた。皇太子時代の昭和から平成年間にかけて、北は北海道利尻島から南は沖縄県与那国島まで、たくさんの島々を訪れた軌跡を追うことにしたい。
55もの島々をご訪問
上皇陛下は、昭和と平成の時代に55もの島々を訪れている。島といっても離島もあれば、本土と陸続きや架橋でつながる陸繋島(りくけいとう)もある。
55の島を都道県別で見ると、最多訪問島数は東京都の8島で、次いで鹿児島県の7島、沖縄県の6島と続き、5島(広島県、長崎県)、3島(島根県、熊本県)、2島(北海道、神奈川県、三重県、香川県)、1島(青森県、新潟県、石川県、和歌山県、兵庫県、岡山県、徳島県、愛媛県、福岡県、宮崎県)であった。
このほかにも、個人や企業が所有する島や、移動途中に通過した陸繋島、船舶から眺望した島が12島あるので、総数としては67島を数える。
沖縄への思い
歴代の天皇で、はじめて沖縄県へのご訪問を実現された上皇陛下。その訪問回数は、皇太子時代の昭和と平成年間で10回を数える。先の大戦で戦場となった沖縄へ向けられる上皇陛下の思いが伝わってくる。初訪問となった1975(昭和50)年は、沖縄が返還された本土復帰から3年が経っていた。「ひめゆりの塔」へ献花に訪れたとき、過激派により火炎瓶が上皇ご夫妻に投げつけられるという事件が起きた。当時は皇太子殿下でいらしたが、この事件を受けて異例ともなる談話を発表し、「私たちは、沖縄の苦難の歴史を思い、沖縄戦における県民の傷跡を深く省み、平和への願いを未来につなぎ、ともどもに力を合わせて努力していきたいと思います。」と、沖縄県民を気遣った。上皇陛下のこうした思いが、10回という沖縄県へのご訪問につながっているのだろう。
被災地へのお見舞いも
離島へのご訪問は、海路(船舶)または空路(航空機)で現地入りするため、悪天候と重なった場合には訪問そのものが中止になることも想定される。しかし、平成年間の離島訪問では、中止や延期になることはなかった。離島を訪れる理由には、地場産業等の視察もあるが、地震や火山、台風など自然災害による被災地へのお見舞いも欠かされない。1993(平成5)年の北海道南西沖地震の被災地訪問では、道南に位置する奥尻島まで民間航空機と陸上自衛隊のヘリコプターを乗り継ぎ、日帰りで訪問された。2001(平成13)年の新島、神津島及び三宅島では、被害の大きかった三宅島だけは神津島からの帰路、ヘリコプター機上からのご視察にとどめ、後年の2006(平成18)年3月にあらためてご訪問になった。
海上自衛隊のヘリにも搭乗された
行く先々の離島までは、必ずしも民間の航空路線があるとは限らない。災害状況のご視察といったケースでは、日帰りでご日程が組まれることが多いため、スケジュールの融通性を考慮して、自衛隊や警視庁はじめ官公庁所有の機材(航空機)が使用されることもあった。
たとえば、1994(平成6)年の硫黄島(いおうとう)へは、陸上自衛隊輸送機(C130)、海上自衛隊ヘリコプター(S-61)、水陸両用機(US-1A)を、2006(平成18)年の三宅島へは、警視庁の大型ヘリコプター(EH101)といった機材に搭乗された。民間路線の航空機利用では、2018(平成30)年の日本トランスオーシャン航空(B737-800)やジェイエア(E170)などがある。
次回「島々へのご訪問(2)」では、離島へ運航したお召船のはなし、平成最後の島嶼(とうしょ)ご訪問を振り返ります。
文・写真/工藤直通
くどう・なおみち。日本地方新聞協会皇室担当写真記者。1970年、東京都生まれ。10歳から始めた鉄道写真をきっかけに、中学生の頃より特別列車(お召列車)の撮影を通じて皇室に関心をもつようになる。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物を通じた皇室取材を重ねる。著書に「天皇陛下と皇族方と乗り物と」(講談社ビーシー/講談社)、「天皇陛下と鉄道」(交通新聞社)など。