能登半島の石川県羽咋市(はくいし)には、“縁結び”で有名なおやしろ(御社)があることを、ご存じだろうか。その名を「氣多大社(けたたいしゃ)」といい、旧称は「氣多大神宮」、「能登國一之宮(のとのくにいちのみや)」とも称される神社だ。日本海に面して鎮座し、神社の森は“神域”であり、「入らずの森」としても有名で、古来より“北陸の大社”としても知られる。神話の神様によりもたらされる、「良縁」「恋愛成就」「夫婦円満」のご利益とは、どのような由緒にもとづくものなのだろうか。
画像ギャラリー能登半島の石川県羽咋市(はくいし)には、“縁結び”で有名なおやしろ(御社)があることを、ご存じだろうか。その名を「氣多大社(けたたいしゃ)」といい、旧称は「氣多大神宮」、「能登國一之宮(のとのくにいちのみや)」とも称される神社だ。日本海に面して鎮座し、神社の森は“神域”であり、「入らずの森」としても有名で、古来より“北陸の大社”としても知られる。神話の神様によりもたらされる、「良縁」「恋愛成就」「夫婦円満」のご利益とは、どのような由緒にもとづくものなのだろうか。
※トップ画像は、氣多大社の境内入口にある二の鳥居。日本海側にあった一の鳥居は、安全に配慮し撤去されている=2005(平成17)年9月24日、石川県羽咋市寺家町
祭神は、オオナムチノミコト
第2代・綏靖天皇(すいぜいてんのう)から第9代・開化天皇までの時代を「欠史八代(けっしはちだい)」と呼び、あくまで架空の天皇とする考え方にもとづく定説である。しかし、まったく根拠がないことではないともされ、第1代・神武天皇(じんむてんのう)の東征伝説と同じく、なんらかの史実が影響しているとも考えられている。
第8代・孝元天皇(こうげんてんのう)の時代である紀元前214年から同158年ごろに、氣多大社の祭神「大己貴命(おおなむちのみこと)=大国主命(おおくにぬしのみこと)の別名」が、出雲の地から300余神を率いて来降したとされる。以来、氣多大社は「氣太神宮(万葉集)」、「氣太神(続日本紀)」、「氣多大神宮(続日本後紀)」とも称されるようになった。
”縁結びの神々が集う”おやしろ
本殿のご祭神「大己貴命(大国主命)」は、”その心優しさから絶世の美女と呼ばれた6人の姫神様ら”と結婚したといわれ、このことから“縁結びの神様”と呼ばれている。神域の「入らずの森」に鎮座する「奥宮」には、「須佐之男命(すさのおのみこと)」と「奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)」が“夫婦”として祀られ、「縁結び」「夫婦円満」のご利益があるとされる。残念ながら、奥宮は神域にあるため一般参拝はできないが、境内には遥拝所が設けられている。
本殿向かって右手には、「白山神社」があり、ここにおまつりされている「菊理媛神(くくりひめ)」は、「伊奘諾命(いざなぎのみこと)」と「伊奘冉命(いざなみのみこと)」との仲を取り持ったとされることが伝えられており、このことから良縁の姫神様と伝えられる。
これらの神々様が、「良縁」「恋愛成就」「夫婦円満」のご利益をもたらすといわれる由縁である。
「入らずの森」は神域
氣多神社境内を囲む森である「社叢(しゃそう)=神社の森」は、神域である「入らずの森」として神聖視され、神事を勤めるときでさえも神官ですら“目かくし”をして神域に立ち入るという。「入らずの森」に自生する照葉樹林(暖地性常緑広葉樹林)は、森深い場所ではきわめてよく原生相が維持され、常緑樹の枯死倒壊と交替したエノキの下に、ヤブニッケイ・タブノキなどの陰樹が生長しつつある状態だという。
昭和天皇もご参拝
1983(昭和58)年5月、石川県森林公園(津幡町)で行われた「第34回全国植樹祭」に出席された昭和天皇は、その途中、氣多大社へお立ち寄りになった。天皇陛下は常に、国家国民のため、「天神地祇八百万神(てんじんちぎやおよろずのかみ)」に祈りを捧げているとされる。もっとも、昭和天皇が香淳皇后と“仲睦まじいご夫婦”であったことは有名であり、あえて「夫婦円満」を祈願するまでもなかったことは、祭神“大己貴命”も気づいていたのではないだろうか。
文・写真/工藤直通
くどう・なおみち。日本地方新聞協会皇室担当写真記者。1970年、東京都生まれ。10歳から始めた鉄道写真をきっかけに、中学生の頃より特別列車(お召列車)の撮影を通じて皇室に関心をもつようになる。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物を通じた皇室取材を重ねる。著書に「天皇陛下と皇族方と乗り物と」(講談社ビーシー/講談社)、「天皇陛下と鉄道」(交通新聞社)など。