おとなの週末的クルマ考

若者に大人気の1990年代のデートカー 初代RAV4は掟破りのクロカン

初代RAV4はチョロQルックでスポーティ

初代RAV4はスポーティなライトクロカンとして若者に大人気となりました。その魅力に迫ります。

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今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第25回目に取り上げるのは、初代トヨタRAV4だ。

1990年代初頭はクロカンが百花繚乱

1982年にそれまではトラックの一部というようなイメージだったクロカンを覆す初代三菱パジェロのデビューを機に普段のアシグルマとしてもクロカンが人気となった。

初代日産テラノ(1986年)、トヨタランドクルーザー80(1989年)、2代目トヨタハイラックスサーフ(1989年)に続き2代目三菱パジェロ(1991年)の登場が決定打となり、百花繚乱の賑わいを見せた。これが1990年代初頭の空前のクロカンブームだ。

1982年デビューの初代三菱パジェロがクロカン人気に火をつけた

クロカンとはクロスカントリーカーの略。未舗装のオフロードを走るためのクルマという意味で、オフローダー、ヘビーデューティ車とも呼ばれていた。今ではこの手のクルマもひとくくりにSUV(スポーツ・ユーティリティ・ビークル)とひとまとめにされているが、当時はSUVなんて言葉は日本で使われていなかった。

ちなみにクロカンは2本の鋼管の間にはしご(ラダー)状に鋼管を這わせたラダーフレームとパートタイム4WDの組み合わせが必須とされていた。

トヨタのクロカンのフラッグシップはランドクルーザーで80は1989年登場

初代エスクードが開拓した新ジャンル

そのクロカンブームにおいて1台のエポックメイキングなクルマが登場。これも機会があれば、本連載で扱いたい一台なのだが、そのクルマとは初代スズキエスクードだ。

初代エスクードはラダーフレームによる強靭なボディ、パートタイム4WDによる悪路走破性を持つ本格的クロカンながら、オンロード(舗装路)での快適性が加味されたモデルとして登場。初代エスクードの登場によりシティオフローダー、シティクロカンという言葉が使われ始めたほどセンセーショナルだった。

シティクロカンという新ジャンルを開拓した初代スズキエスクード

その初代エスクードは全長3560×全幅1635×全高1665㎜というコンパクトで取り回しに優れたボディサイズも人気となった要因だ。それまで小さいクロカンと言えばジムニーだったが、街乗りでの快適性が受けて初代エスクードは新たなジャンルを切り拓いて一躍人気モデルとなった。

初のお披露目は1989年

初代エスクードの人気で盛り上がりを見せるシティオフローダー(シティクロカン)のマーケットをトヨタが放っておくはずがない。

トヨタは東京モーターショー1989でRAV FOURと命名されたコンパクトクロカンのコンセプトカーを世界初公開。東京モーターショー1989は開催時期からもわかるとおり、バブリーで東京モーターショーの歴史においても最も華やかだった。ものすごい数のコンセプトカーが出展されたと同時に、ホンダNS-Xプロトタイプ、トヨタ初代セルシオ、日産スカイラインGT-R(R32)など注目の市販車、市販前提車が数多く出展されていた記録づくめのショーとなった。

筆者は社会人になる前の大学生として東京モーターショー1989に行ったが、トヨタブースの主役は4500GTだったこともあり、コンセプトカーのRAV FOURを生で見た記憶はない。まぁ脇役的で注目度もそれほど高くなかったのだと思う。

RAV FOURという名のコンセプトカーを1989年に公開。丸目がポイント

ショーモデル公開から4年半

初代トヨタRAV4がデビューしたのは1994年5月。コンセプトカーを公開してから4年半後だ。クルマは一朝一夕にできるものではなく、クルマの開発には時間がかかることがよくわかる。同じコンセプトのモデルが異なるメーカーからほぼ同時に登場するケースはよくある。その場合、後発モデルは先発モデルの真似をしたとか、言われることは多いが、半年やそこらで変更できるものではなく、開発もほぼ同時期に始まっているのだ。

だから東京モーターショー1989で公開されたRAV FOURのコンセプトカーは、もともと開発されていたものではなく初代エスクードに刺激されてコンセプトカーを作成し、その後市販に向けての開発に移されたということだ。

RAV FOURは市販モデルにプロポーションが生かされている

チョロQルックがスポーティ

市販されたRAV4は全長3695×全幅1695×全高1655mmと初代エスクードよりもコンパクト。コンパクトカーの代名詞であるトヨタヤリスが全長3950㎜だからそれよりも300mm程度も短い!! 現在の軽自動車規格の全長が3395㎜だから、まさにヤリスと軽自動車の中間的な前兆ということになる。

それに対し全幅は5ナンバーサイズギリギリの1695㎜だからショート&ワイドのプロポーションが強調されるチョロQルック。クロカン界のスペシャルティカーと呼ばれたのも充分に頷ける。

コンセプトカーのRAV4を見ると、丸型ヘッドライトゆえ市販されたRAV4とイメージが違うように感じるが、プロポーションはそのまま生かされていることがわかる。

ショート&ワイドボディに大径タイヤはまるでチョロQ

掟破りのモノコックのクロカン

初代RAV4は日本のクルマ史において非常に画期的だった。シティオフローダーのパイオニアであるエスクードはクロカンの方程式に倣い、前述のとおりラダーフレームを採用していた。それに対し初代RAV4はフレーム部分と上屋(うわや)を一体構造とするモノコックで登場したのだ。現在はランクル系、ジムニーなどを除き、SUVはモノコックとなっているが、その先鞭をつけたのが初代RAV4だったのだ。

ラダーフレームはボディ剛性を確保できるが車重が増えること、路面からの入力をフレーム部分のみで受けるため乗り心地がゴツゴツしやすいのがデメリット。それに対しモノコックは軽量化も可能だし、フレーム部分だけでなくボディ全体で路面からの入力を吸収できるため乗り心地がマイルドになる。

一部のマニアからは掟破りのモノコックゆえ邪道だとか言われたが、実際に初代エスクードと初代RAV4を乗り比べると一目瞭然で、街中での快適性という面では初代RAV4の圧勝!! 

マイチェンでグリルが変更され高級感が加味された

走りも余裕満点

初代RAV4はチョロQルックのわかりやすいスポーティなエクステリア&インテリア、ショートボディだが4人がゆったりと過ごせる室内空間、まんま乗用車と言った快適な乗り心地を備えていた。しかも5ナンバーサイズで取り回しにも優れていた。

走りに関して言えば、スターレットクラスのボディに2Lエンジンを搭載していたため、余裕満点で、加速性能だって不満なかった。

駆動方式はFF(前輪駆動)と4WDをラインナップ。街中しか走らない人にとっては4WDは不要で、おまけに安いとうメリットもあった。

5ドアはホイールベースを延長し室内スペースを拡大しファミリー層に人気

4WDに関してはお世辞にもパートタイム4WDのエスクードのような走破性はなかったかもしれないが、RAV4の4WDはフルタイムゆえ、何も気にせずに乗れたのも人気となったポイントとして無視できない。

マニアからすれば忸怩たる思いだったかもしれないが、一般ユーザーなんて快適かつイージーなほうがいいに決まっている。RAV4の翌1995年に登場したモノコックで、さらに走破性に劣るスタンバイ4WDだった初代CR-Vの大ヒットを見れば、ユーザーはクロカンのデザインが欲しいだけで、オフロードをガンガン走りたいわけじゃないということを痛感する。

1995年デビューの初代ホンダCR-VはRAV4の強力なライバルに君臨。悪路走破性はRAV4が上だった

1990年代のデートカー

こんなモデルを若者が放っておくはずもなく、瞬く間に大ヒットモデルとなった。1980年代に一世風靡したデートカーの再来と言われた。彼女と一緒にRAV4でドライブする、というのに筆者も当時憧れていた。実現することはなかったが……。

1994年と言えば、筆者の大学時代の友人たちもみな社会人。初代RAV4は3人新車で購入し、カーライフを満喫していた。アンダー200万円で購入でき、使い勝手よし、見た目もスポーティでカッコいいという若者にジャストフィットした一台だった。

一方、3ドアじゃファミリーユースには向かない、という声に応えるかのようにデビュー1年後の1995年4月にホイールベースを延長し、室内スペースを拡大した5ドアモデルを追加。これによりファミリー層からも人気となったのは言うまでもない。

RAV4で彼女と海辺にデートなんて当時の若者の憧れ

なぜ人気が出なかったのかが不思議

初代RAV4にはパーソナルセレクションというサービスが設定されていた。日産ジュークや初代トヨタアクアで、ドアミラー、バンパーパーツの差し色がパーソナライズできるというサービスがあったが、要は自分好みの一台が作れるというもの。

しかし、RAV4のパーソナルセレクションはレベル違い。ボディカラーは鋼板部分(上半分)が12色、樹脂部分(下部分)が11色から選択可能となっていて、そのパターンは12×11=132通り!!

クロカンの証である背面タイヤはRAV4でも装着されオフロードムードを楽しんだ

さらにシートカラーも15のパターンから選択でき、カラーセレクションとして10色で、各シートで違う色も選択可能。さらにヘッドレストは5色用意され、ドアトリム、カップホルダー、ドアグリップなどもカラーの選択が可能ということで、その組み合わせはほぼ無限大と言った感じだった。

これだけ大掛かりな選択ができるのに、価格は車両価格+9万円!! ウソでしょというほど

安い。当時も絶対大ウケ間違いなし、と思っていたが意外や意外に台数は出ずけっこう早めにサービス終了したのはもったいなかった。ユーザーのニーズをつかむのはホント難しい。

中古狙いもあり!!

イージーさが魅力のATモデルが販売の主流だったが、走るのが好きな人には5MTも用意されていてそれなりに売れていた。

実は『ベストカー』で長年仕事をお願いしている某カメラマン氏は中古で初代RAV4の3ドアに10年以上も乗っていたが、これがMTモデルで氏のお気に入りだった。シフトストロークは長くスポーティではないが、クラッチのつながりもわかりやすく運転しやすいので、MTビギナーにオススメと絶賛していた。今となっては中古車のタマ数は少ないが、3ドアモデルで100万円前後から手に入れられるので個性派のSUVでMTモデルを探している人には打ってつけ。

当時はグリルガード(カンガルーバー)もクロカンの必須アイテムだった

しょっぱい思い出

これまで初代RAV4の魅力について書いてきたが、実は筆者にとって物凄く思い出深い一台なのだ。

筆者は編集者として『ベストカー』が作りたいために三推社(現講談社ビーシー)に入社したのだが、入社後配属されたのは編集部ではなく広告部。まぁ、入社してからしばらくは夢破れた感があって、「俺がやりたいのは広告営業じゃない!!」とけっこう落ち込み、本気でやめようと思ったこともあった。

いろいろすったもんだあったが、1994年4月1日から念願のベストカー編集部に異動。編集部員として初めて撮影会に行ったのが初代RAV4だった。いいページを作りたくて撮影会ではRAV4のデザイナーをはじめとする開発陣に話を聞きまくった。実際にはページを担当させてもらえず、取材で得た知識は誌面に反映することはなかったが……。

初代RAV4をたまに街中で見たりすると、ちょっとしょっぱい気分になるのだ。

ソフトトップモデルはよりスポーティ感が増す。写真は北米で販売されたコンバーチブル

天国と地獄

筆者がベストカー編集部に配属されたのは初代RAV4とほぼ同時期ということになるが、初代RAV4がデビューした1994年5月は筆者にとっては天国と地獄を味わった。地獄に関しては筆者だけでなく世界的なものだった。

その地獄とは、F1ドライバ―のアイルトン・セナが1994年5月1日決勝のサンマリノGPで事故死したこと。筆者はそれほどまでセナに思い入れはなかったが、世界最高のドライバーの死についてはいろいろ考えさせられた。

世界的なヒーローだったアイルトン・セナは1994年5月日にサンマリノGPの決勝レース中に事故死

一方天国は、配属早々に海外取材に行かせてもらったこと。DTMに参戦していたオペルカリブラのレース取材でドイツに行った。レース観戦のほかF3マシン試乗、ニュルブルクリンクのオールドコースの同乗試乗などなど、目からウロコの連発。

その時にお世話になった人たちとは今でも親交を温めている。

筆者は2024年で編集者として30年になるが、それがスタートしたのが初代RAV4がデビューした1994年なのだ。

【初代トヨタRAV4 L(3ドア)主要諸元】
全長3695×全幅1695×全高1655mm
ホイールベース:2200mm
車両重量:1180kg
エンジン:1998cc、直列4気筒DOHC
最高出力:135ps/6000rpm
最大トルク:18.5kgm/4400rpm
価格:189万8000円

【豆知識】
初代エスクードはラダーフレームを持つコンパクトクロカンとして1988年にデビュー飾った。クロカンとしてはジムニーを持つスズキだったが、街中での使用の快適性を盛り込んで新たなジャンルを確立。一躍大ヒットモデルとなった。デビュー時は3ドアのみだったが、5ドアを追加して販売を伸ばした。パートタイム4WDによる走破性は高く、マニアからも支持された。エンジンは1.6L(82ps/13.1kgm)と非力だったが、軽量ボディにより加速性能にも不満はなかった。

前後のオーバーフェンダー、スクエアなデザインなど武骨さも初代エスクードの魅力

市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。

写真/TOYOTA、SUZUKI、MITSUBISHI、HONDA、ベストカー

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