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劇的進化をとげたスキーが証明していることとは

スキー用具の進化も、交通の発達と同様にめざましく、当時とは隔世の感がある。

私がスキーを始めた昭和30年代後半には、スキー板はみな木製で、ぶ厚く重たかった。ヒッコリーという多少は軽くて丈夫な輸入木材が高級品とされ、グラスファイバー素材はほとんど試用品ともいえるほどの高嶺の花であった。初めてヤマハのグラウファイバーをはいたときには、あまりの軽さに愕(おどろ)いたものである。

セーフティ・ビンディングはようやく普及し始めたころで、貸しスキーなどはまだ転倒してもはずれない固定式の締具を使っていた。

何よりも最も変わったのはスキー靴だろう。バックル式が登場したのは40年代なかばのことで、それ以前はすべて編上げの牛革靴であった。ともすると東京からスキー靴をはいて出かける人もいた。何しろ革製であるから。長くはいていれば縫い目から水かしみこみ、つま先の感覚がなくなってしまった。

ヒッコリーの板に竹製のストック、皮の編上げ靴をカンダハーの固定器具でくくりつけ、ナイロン・ヤッケを頭から被ってスキーをした世代は、おそらく私が最後ではなかろうか。

スキーという遊びはそれからわずか10年足らずのうちに、敵的とも象徴的ともいえる進化をとげた。

しかし、私のように前世代のスキーを知っている人間が、そののちゲレンデで取り残されるのかというと、ふしぎとそうはならない。オールド・スキーヤーもたちまち時代に順応して行くのである。しかもスキーの技術とは体で覚えるものであるから、多少の体力の衰えはみてもたいしてヘタにはならない。

かくて私は40半ばの今も、四輪駆動車を駆って高速道路をつっ走り、若者たちと同じ身なりでゲレンデを滑りおりることができる。さまざまの道具や交通手段やスキー場の設備が発達して、年齢をカバーしてくれるのだから、これほど都合のよいスポーツはほかにあるまい。

夜が明けた。多摩山中の私の家の周辺では、20センチも積もったであろうか。近年にない大雪である。

ここまで原稿を書いて、内容に重大な問題がひそんでいることに気付いた。

若者たちは木製の板も皮の編上げ靴も知らないが、私たちもそんなものはとっくに忘れているのである。社会は年齢や経験にかかわらず、等しく文明の進歩につれて横着になり、怠惰になり、無能になって行くのであるまいか。まさに同時代人として等しく、である。

さきに私は、「スキーの技術とは体で覚えるものであるから、多少の体力の衰えはみてもヘタにはならない」と書いた。はたしてそうであろうか。「さまざまの道具や交通手段やスキー場の設備が発達して、年齢をカバーしてくれる」という考えは、はたして正当であろうか。

昭和40年代の高度成長とともに劇的な進化をとげたスキーは、文明と人間とのかかわりあい、すなわち利器の出現による人間の本質的堕落を、まこと分かりやすく証明しているのではなかろうか、という気がする。

それとも、外的進化と同時に内的退行をするのは、知的生物の宿命というべきなのだろうか。かくて人間は、私がかつて本稿で書いた通りに、実年齢の8割、7割、6割と、精神年齢を次第に下げて行く。

同時代を生きるかぎり、われわれは「今どきの若い者」という愚かしい説教は捨てねばならないのであろう。ともに同じ文明を享受し、同じゲレンデを滑るスキーヤーとして。

スキーに行きたしと思えども、どういうわけか私の上にだけ正月はやってこない。

待てよ。フムフム。

「文藝手帳」の予定表によれば、この原稿を最後に私の平成9年は終わる。

ということは、残すところあと1行。

ハイみなさま、あけましておめでとうございます。本年もよろしく!

(初出/週刊現代1998年1月24日号)

『勇気凛凛ルリの色』浅田次郎(講談社文庫)

浅田次郎

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。

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おとなの週末Web編集部 今井
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