松平定知の「一城一話55の物語」

失敗しても何度も復活!秀吉の最古参の家来・仙石秀久はいかにして戦国の世を生き抜いたか 小諸城と「戦国の失敗学」

小諸城(「Webサイト 日本の城写真集」より)

『その時歴史が動いた』や『連想ゲーム』などNHKの数々の人気番組で司会を務めた元NHK理事待遇アナウンサーの松平定知さんは、大の“城好き”で有名です。旗本の末裔で、NHK時代に「殿」の愛称で慕われた松平さんの妙趣に富んだ…

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『その時歴史が動いた』や『連想ゲーム』などNHKの数々の人気番組で司会を務めた元NHK理事待遇アナウンサーの松平定知さんは、大の“城好き”で有名です。旗本の末裔で、NHK時代に「殿」の愛称で慕われた松平さんの妙趣に富んだ歴史のお話をお楽しみください。今回は、仙石秀久と小諸城です。

武田信玄が重要性に注目

「小諸なる古城のほとり雲白く遊子(いうし)悲しむ」で始まる島崎藤村の『千曲川旅情の歌』は、小諸城をうたったものです。

小諸城の起源は古く、木曾義仲の武将・小室太郎光兼が、現在の小諸城の東に館を築いたことに始まるといわれます。小室氏は南北朝時代に衰退し、大井郷の大井氏が勃興、小諸と佐久地方を支配し、小諸城の前身、鍋蓋城を築きます。

その後戦乱の世となり、天文23(1554)年、甲斐の武田氏がこの地に侵攻し、鍋蓋城を落とし、武田氏が城代を務め、この地を支配します。武田信玄はこの地の重要性に注目し、重臣・山本勘助と馬場信房に命じ、新たに縄張りさせ、小諸城の原型ができあがります。

小諸城址の「二の丸跡」 Photo by Adobe Stock

石川五右衛門を伏見城で捕縛の伝説

小諸城を近代の城郭に整備し直したのは仙石秀久です。仙石秀久は大盗賊・石川五右衛門を伏見城で捕縛したという伝説が残る人物です。戦国時代にはドラマチックな生涯を送った武将が少なくありませんが、仙石秀久は失敗のたびに復活し、波瀾万丈の人生を送った人物としても知られます。

仙石氏は美濃の国の土豪の出で斎藤氏につきますが、織田信長が美濃に侵攻し斎藤氏を滅ぼして以降は、羽柴秀吉の麾下になります。貧困から身を起こした秀吉にとっては、最古参の家来のひとりでした。秀吉に従い、姉川の戦い、中国の毛利攻め、山崎の戦い、賤ヶ岳の戦い、四国攻めと転戦します。四国の雄・長宗我部元親軍に挑んだ引田の戦いでは、奮戦するも敗れてしまいます。幟を奪われるという失態を犯したともいわれますが、そそっかしい性格だったのかもしれません。

その後、長宗我部氏は降伏し、四国は平定されます。そして、これまでの働きが評価され、秀久は讃岐一国の国持大名となります。秀久の身に暗雲が漂うのは、秀吉が島津氏を討つべく進出した天正14(1586)年、九州征伐の際です。当時、秀吉はライバル徳川家康と小牧・長久手の戦いの最中で、九州に行くことはできません。秀久は先陣役を命ぜられ、平定したばかりの四国勢の軍監として海を渡りました。

小諸城址の「三の門」入り口 Photo by Adobe Stock

秀吉の九州征伐、始まる

ここで当時の九州の状況をざっと見ておきましょう。九州北部の筑前、豊後、豊前、肥前、筑前に大勢力を張っていた大友氏が、天正6(1578)年、日向で島津氏と激突、耳川の戦いで完敗したことで、勢力図が一変します。その間隙を突き勃興したのが龍造寺氏で、肥前、筑前、肥後などを大友氏から奪取します。

しかし、龍造寺氏に押さえ込まれていた有馬氏が龍造寺氏から離反したことで、元亀2(1571)年、沖田畷(おきたなわて)の戦いが起きます。肥前・島原で有馬・島津連合軍と龍造寺軍が戦ったこの戦いで、龍造寺側は大将である隆信が敗死するなど惨敗し、九州は島津氏にほぼ制圧される状況でした。こうした状況で、島津氏の圧迫を受けた大友宗麟こと義鎮(よししげ)が、秀吉に助けを求めたことで、秀吉の九州征伐が始まりました。

小諸城址の「三の門」の案内板Photo by Adobe Stock

功を焦って先走り、高野山に追放

当初秀吉は動けませんでしたから、仙石秀久が征伐軍を率いることになりました。主力は、四国征伐で制圧した長宗我部軍でした。負けた相手に使われての戦いですから、士気は上がりません。秀久は、秀吉から「本隊が到着するまで持久戦に持ち込め」と指示されていたにもかかわらず、功を焦って先走り、豊後の戸次川で待ち伏せ攻撃に遭って総崩れになってしまいます。しかも秀久は敗軍をまとめもせず、勝手に小倉に逃げ帰ってしまい、秀吉を激怒させます。この結果、所領を没収されて高野山に追放されました。秀久34歳の頃です。

秀久が許されるのは、天正18(1590)年の小田原攻めの際です。家康の推薦もあって、参戦を許されたと伝わります。そこで軍功を挙げた秀久は、信濃小諸に5万石を与えられ、大名に復活したのです。ススキの名所として知られる箱根の仙石原は、この時の秀久の活躍によって付けられたという説もあります。

大手門と三の門が国の重要文化財に指定

秀久が整備した小諸城は、千曲川の扇状地であることを利用して、幾重にも空堀を作って敵の攻めに備えました。城下町よりも低い地に城郭があるため、穴城とも呼ばれます。実際に歩いてみると、町から城にかけてどんどん標高が下っていることがわかります。大手門と三の門が現存し、これは国の重要文化材に指定されています。

三の門は懐古園の額があることで知られますが、これは徳川家16代当主の徳川家達(いえさと)の書によります。また三の門は渡櫓門といって、石垣と石垣の間を渡すように門の上に櫓が建てられることからこう呼ばれました。皇居の桜田門や大手門も同じかたちです。

小諸城に天守閣はありませんが、天守台はあります。また二の丸は、慶長5(1600)年に徳川秀忠が中山道経由で関ヶ原の合戦に向かう際、上田攻めの本陣を置いたところです。秀久は、「自分を人質とし、進軍してくだされ。それで東軍が勝てば本望」と言上し、秀忠もその忠節を喜んだと伝えられます。

小諸城址の「水の手展望台」からの景色 Photo by Adobe Stock

信州のそば職人を連れてきて始まった「出石の皿そば」

結局、秀忠軍は、真田父子のゲリラ戦に悩まされて関ヶ原の合戦に遅参し、家康の不興を買ってしまいました。秀久も責任の一端を感じたのでしょう、秀忠を許すよう家康を説得したといわれます。仙石秀久は、幾多の失敗を経験しながら、大名として生きるすべを身につけたということでしょうか。

ちなみに仙石氏はその後、小諸藩から上田藩、そして但馬出石藩(現在の兵庫県北部)に封じられます。有名な出石の皿そばは、仙石氏が信州のそば職人を連れてきたことに始まるのです。

小諸城址の「水の手展望台」 Photo by Adobe Stock

【小諸城】(別名・酔月城、白鶴城)
1487年、戦国大名大井光忠によって築城され、武田信玄が侵攻し、山本勘助らに命じて拡張整備された。徳川政権樹立後は初代小諸藩主・仙石秀久によって三重の天守や大手門などを建造、子の忠政が完成させた。城郭部が城下町よりも低く「穴城」ともいわれる。重要文化財に指定される大手門は平成の大修理によって1612年、仙石秀久が築いた当時に復元された。1926年には、小諸城址懐古園として近代的な公園に整備された。
入園料:共通券大人500円、中学生以下200円(次の施設全てで使える。懐古園内散策、動物園、藤村記念館、徴古館、小山敬三美術館、小諸義塾記念館)
開園時間:9時~17時(徴古館、藤村記念館、小山敬三美術館、冬季は16時半まで。最終入館は16時。小諸義塾記念館は冬季閉館)
休園日:12~3月中旬は水曜日定休、年末年始(12月29日~1月3日)
住所:長野県小諸市丁311(小諸市懐古園事務所)
電話:0267-22-0296(小諸市懐古園事務所)

小諸城址の「三の門」 Photo by Adobe Stock

【仙石秀久】
せんごく・ひでひさ。1552~1614年。美濃の豪族・仙石久盛の四男に生まれる。斎藤氏に仕え、道三の孫、斎藤龍興が織田信長に稲葉山城の戦いで敗れると、信長に拾われて羽柴秀吉の馬廻衆になる。以来、秀吉に従軍し、讃岐一国を与えられる。秀吉の死後は家康につき、関ヶ原の戦いでは秀忠軍に従軍。遅参した秀忠に代わり、家康への謝罪に努め、秀忠の信を得て小諸藩の初代藩主となった。

松平定知さん

松平定知 (まつだいら・さだとも)
1944年、東京都生まれ。元NHK理事待遇アナウンサー。ニュース畑を十五年。そのほか「連想ゲーム」や「その時歴史が動いた」、「シリーズ世界遺産100」など。「NHKスペシャル」はキャスターやナレーションで100本以上担当。近年はTBSの「下町ロケット」のナレーションも。現在京都造形芸術大学教授、國學院大学客員教授。歴史に関する著書多数。徳川家康の異父弟である松平定勝が祖となる松平伊予松山藩久松松平家分家旗本の末裔でもある。

※『一城一話55の物語 戦国の名将、敗将、女たちに学ぶ』(講談社ビーシー/講談社)から転載

※トップ画像は「Webサイト 日本の城写真集」

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