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信州のそば職人を連れてきて始まった「出石の皿そば」

結局、秀忠軍は、真田父子のゲリラ戦に悩まされて関ヶ原の合戦に遅参し、家康の不興を買ってしまいました。秀久も責任の一端を感じたのでしょう、秀忠を許すよう家康を説得したといわれます。仙石秀久は、幾多の失敗を経験しながら、大名として生きるすべを身につけたということでしょうか。

ちなみに仙石氏はその後、小諸藩から上田藩、そして但馬出石藩(現在の兵庫県北部)に封じられます。有名な出石の皿そばは、仙石氏が信州のそば職人を連れてきたことに始まるのです。

小諸城址の「水の手展望台」 Photo by Adobe Stock

【小諸城】(別名・酔月城、白鶴城)
1487年、戦国大名大井光忠によって築城され、武田信玄が侵攻し、山本勘助らに命じて拡張整備された。徳川政権樹立後は初代小諸藩主・仙石秀久によって三重の天守や大手門などを建造、子の忠政が完成させた。城郭部が城下町よりも低く「穴城」ともいわれる。重要文化財に指定される大手門は平成の大修理によって1612年、仙石秀久が築いた当時に復元された。1926年には、小諸城址懐古園として近代的な公園に整備された。
入園料:共通券大人500円、中学生以下200円(次の施設全てで使える。懐古園内散策、動物園、藤村記念館、徴古館、小山敬三美術館、小諸義塾記念館)
開園時間:9時~17時(徴古館、藤村記念館、小山敬三美術館、冬季は16時半まで。最終入館は16時。小諸義塾記念館は冬季閉館)
休園日:12~3月中旬は水曜日定休、年末年始(12月29日~1月3日)
住所:長野県小諸市丁311(小諸市懐古園事務所)
電話:0267-22-0296(小諸市懐古園事務所)

小諸城址の「三の門」 Photo by Adobe Stock

【仙石秀久】
せんごく・ひでひさ。1552~1614年。美濃の豪族・仙石久盛の四男に生まれる。斎藤氏に仕え、道三の孫、斎藤龍興が織田信長に稲葉山城の戦いで敗れると、信長に拾われて羽柴秀吉の馬廻衆になる。以来、秀吉に従軍し、讃岐一国を与えられる。秀吉の死後は家康につき、関ヶ原の戦いでは秀忠軍に従軍。遅参した秀忠に代わり、家康への謝罪に努め、秀忠の信を得て小諸藩の初代藩主となった。

松平定知さん

松平定知 (まつだいら・さだとも)
1944年、東京都生まれ。元NHK理事待遇アナウンサー。ニュース畑を十五年。そのほか「連想ゲーム」や「その時歴史が動いた」、「シリーズ世界遺産100」など。「NHKスペシャル」はキャスターやナレーションで100本以上担当。近年はTBSの「下町ロケット」のナレーションも。現在京都造形芸術大学教授、國學院大学客員教授。歴史に関する著書多数。徳川家康の異父弟である松平定勝が祖となる松平伊予松山藩久松松平家分家旗本の末裔でもある。

※『一城一話55の物語 戦国の名将、敗将、女たちに学ぶ』(講談社ビーシー/講談社)から転載

※トップ画像は「Webサイト 日本の城写真集」

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