未遂に終わった爆破計画
犯人グループは当初、爆弾を無線により遠隔操作で爆破することを目論んでいたが、テストがうまくいかなかったため計画を変更し、爆破操作には電線をつなげて使うというアナログな計画に切り替えたとされる。この電線を荒川の河川敷に敷設するため、夜間にひっそりと作業を行なったが、公安当局に尾行されていると感じた犯人グループは、計画を断念したという。
荒川橋梁といえば、京浜東北線、東北本線、東北貨物線と3つの橋梁が架かっている。取り調べによれば、爆弾を仕かけようとしたのは“東北本線”の橋梁だったとされ、実際にお召電車が通過した橋梁は、大宮駅から原宿駅宮廷ホームへとつながる東北“貨物”線だった。もし、この計画が実行に移されたとしても、お召電車が通過する橋脚は、その一つ隣りだったのだ。
大惨事となった三菱重工本社ビル爆破事件を思い起こせば、隣の線路を走っていたお召電車も、ただ事では済まされなかったであろう。この事件が明るみになった後の1975(昭和50)年9月に行われた、昭和天皇、香淳皇后の訪米の際の警備は、異常なまでの“厳戒態勢”だった。
文・写真/工藤直通
くどう・なおみち。日本地方新聞協会皇室担当写真記者。1970年、東京都生まれ。10歳から始めた鉄道写真をきっかけに、中学生の頃より特別列車(お召列車)の撮影を通じて皇室に関心をもつようになる。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物を通じた皇室取材を重ねる。著書に「天皇陛下と皇族方と乗り物と」(講談社ビーシー/講談社)、「天皇陛下と鉄道」(交通新聞社)など。