昭和29年夏、はじめての青函連絡船
歴代天皇が、初めて青函連絡船を利用したのは1954(昭和29)年8月のことだった。昭和天皇と香淳皇后は、“全国御巡幸”の最後の訪問先となった北海道へ向かうため、上野駅からお召列車で青森駅へ到着し、そこから函館まで青函連絡船「洞爺丸(とうやまる)」に乗船した。
8月7日、青森駅に到着した昭和天皇と香淳皇后は、青森桟橋を14時に出航し、函館へと向かわれた。実は、1947(昭和22)年8月の青森県巡幸の際にも、青森駅へ到着した昭和天皇は青森桟橋へ移動し、青森駅長と函館船舶管理部長から“青函連絡船”の説明を受けられていた。
昭和天皇と香淳皇后は、北海道からの帰路では日本航空のお召機を利用されたため、連絡船への乗船は往路の一度だけであった。なお、お召船となった「洞爺丸」は、1954(昭和29)年9月26日の台風15号による海難事故で、函館湾内にて座礁、転覆し、沈没した。
その後の昭和天皇と香淳皇后の渡道は、1961(昭和36)年と1968(昭和43)年、1972(昭和47)年にも行われたが、いずれのときも往復ともに空路であった。そのため、青函連絡船のご利用はない。1988(昭和63)年3月に青函トンネルが開通すると、鉄道航路は廃止となった。昭和とともに「青函連絡船」という“船旅”は、終わりをとげた。
文・写真/工藤直通
くどう・なおみち。日本地方新聞協会皇室担当写真記者。1970年、東京都生まれ。10歳から始めた鉄道写真をきっかけに、中学生の頃より特別列車(お召列車)の撮影を通じて皇室に関心をもつようになる。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物を通じた皇室取材を重ねる。著書に「天皇陛下と皇族方と乗り物と」(講談社ビーシー/講談社)、「天皇陛下と鉄道」(交通新聞社)など。