お家騒動で生駒家は改易
親正が高松城で亡くなるのは、慶長8(1603)年のことでした。享年78。派手さはないものの、その誠実な仕事ぶりで名を残しました。
親正が苦労して得た讃岐一国でしたが、寛永17(1640)年、生駒家4代目高俊の時に、生駒家は改易になってしまいます。親正が藩主であれば、有りえなかったお家騒動でした。その後、高松藩は天領となり、松平頼重が治めます。
【高松城】(別名・玉藻城、たまもじょう)
天正16(1588)年、豊臣秀吉から讃岐一国17万石を与えられた生駒親正が瀬戸内海に面した玉藻の浦に築城。海水を取り入れた本格的な海城で島のように浮かぶ本丸を持っていた。天守は天守台よりも張り出した唐造(からづくり)で、生駒氏に代わってこの地を治めた松平頼重の改修によって生まれたもの。松平頼重は水戸黄門こと徳川光圀の兄。現在、天守はなく、月見櫓が残る。史跡高松城跡高松市立玉藻公園として整備されている。
住所:香川県高松市玉藻町2-1
玉藻公園入園料:大人200円、小人100円(6歳以上16歳未満)
入園時間:日の出~日没(西門)
電話:087-851-1521(玉藻公園管理事務所)
【生駒親正】
いこま・ちかまさ。1526~1603年。美濃の国に生まれる。織田信長に仕え、秀吉付けの武将となり、軍功を上げる。1592年の文禄の役(第一次朝鮮出兵)にも66歳の高齢ながら、渡海するなど頼れるベテラン武将として秀吉の信頼を得て、讃岐国17万8000石を与えられたほか、三中老に抜擢される。関ヶ原の戦いでは西軍につくも息子の一正を東軍につけたことで所領は安堵された。
松平定知 (まつだいら・さだとも)
1944年、東京都生まれ。元NHK理事待遇アナウンサー。ニュース畑を十五年。そのほか「連想ゲーム」や「その時歴史が動いた」、「シリーズ世界遺産100」など。「NHKスペシャル」はキャスターやナレーションで100本以上担当。近年はTBSの「下町ロケット」のナレーションも。現在京都造形芸術大学教授、國學院大学客員教授。歴史に関する著書多数。徳川家康の異父弟である松平定勝が祖となる松平伊予松山藩久松松平家分家旗本の末裔でもある。
※『一城一話55の物語 戦国の名将、敗将、女たちに学ぶ』(講談社ビーシー/講談社)から転載
※トップ画像は「Webサイト 日本の城写真集」