「希望球団ではない」と指名拒否のケース目立つ
当時は球団から指名候補選手への調査書の送付や、高校、大学生のプロ志望届の提出などもなく、プロ側は選手への事前挨拶もないままに指名したり、プロ入りの意思がなくても交渉権だけを得ておいたりということも少なくなかった。このようなプロ、アマ間のコミュニケーション不足による指名拒否は、ドラフトが回数を重ねていくなかで減少していくが、その後はプロ入りの意思がありながら、「希望球団ではない」として指名拒否するケースが目立つようになる。
この頃、希望球団への入団が制限されるドラフト制度は職業選択の自由を奪っているといわれるようになった。自由競争時代の選手獲得競争の過熱は「人身売買」ともいわれたが、今度は「憲法違反」というわけだ。
「江川事件」の衝撃
そんななかで「江川事件」が起きた。巨人入りを希望した江川卓は作新学院時代の1973年に阪急の1位指名を拒否、法政大を経た1977年のドラフトではクラウンライターの1位指名を拒否した。
1年浪人後の1978年にドラフト前日「空白の一日」を突いて巨人と契約を強行したが、ドラフトでは阪神が1位指名し、形式上、阪神入団後、キャンプ前日に巨人へとトレードされた。江川の1位指名3度、拒否2度はともに最多だ。
「逆指名」が恒例化
その後、ドラフト前になると新聞、テレビなどメディアを通して、ドラフト候補選手が希望球団を指名する「逆指名」が恒例化する。
「逆指名」は1993年から2006年まで大学、社会人に限り制度化されたが、「江川事件」が、そのきっかけのひとつになったといってよいだろう。