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スペインで「ハポン(日本)」を名乗る人々

時の世界の権力者2人と友好関係を築き、交易に加え、エスパーニャ海軍を味方につけることでの軍事同盟も頭にあったようです。イエズス会の報告から日本ではキリスト教が弾圧されていることがわかり、交易も同盟関係も実現しませんでしたが、「外国の力を借りて日本制圧」も念頭に、動いていたことは事実です。

天下を少しも諦めていなかったことがわかる政宗の剛胆な計画といえるでしょう。ちなみにスペインの南部コリア・デル・リオという町にはスペイン語で日本を表す「ハポン」の名字を名乗る人々が現在も700人ほどいます。支倉常長の一行のうち、現地に住み着いた人々の末裔といわれています。

仙台城の石垣 Photo by Adobe Stock

【仙台城】(別名・青葉城)
現在、仙台城がある青葉山付近には鎌倉時代に千代(せんだい)城があったと伝えられるが、伊達政宗が慶長5(1600)年から2年あまりをかけて築城した。四方は広瀬川の渓谷と断崖を利用した天然の要害であり、約2万坪の敷地は当時、家康の江戸城に次ぐ広さを誇った。築城当時から天守閣はないが、本丸は桃山文化の集大成といえる豪華なものだった。現存する建物はないが、大手門とともに空襲で焼失した脇櫓が昭和42(1967)年にコンクリート製で復元された。
住所:宮城県仙台市青葉区川内1
電話:022-222-0218(青葉城本丸会館)

【伊達政宗】
だて・まさむね。1567~1636年。伊達家17代当主であり、仙台藩62万石の初代藩主。父は伊達輝宗、母は最上義姫で米沢城に生まれる。幼名は梵天丸。疱瘡の毒で右目を失明し、独眼竜と称する。18歳で家督を継ぎ畠山、佐竹、蘆名などと覇権を争い、南奥州を平定。豊臣秀吉に臣従を迫られ、抵抗するも小田原征伐時に死装束で弁解を試みたエピソードは有名だ。支倉常長らを遣欧使節団としてスペインに派遣し、軍事同盟を画策、天下を狙っていたといわれる。そのスケールの大きさは戦国ファンを魅了してやまない。

松平定知 (まつだいら・さだとも)
1944年、東京都生まれ。元NHK理事待遇アナウンサー。ニュース畑を十五年。そのほか「連想ゲーム」や「その時歴史が動いた」、「シリーズ世界遺産100」など。「NHKスペシャル」はキャスターやナレーションで100本以上担当。近年はTBSの「下町ロケット」のナレーションも。京都芸術大学教授、國學院大学客員教授。歴史に関する著書多数。徳川家康の異父弟である松平定勝が祖となる松平伊予松山藩久松松平家分家旗本の末裔でもある。

※『一城一話55の物語 戦国の名将、敗将、女たちに学ぶ』(講談社ビーシー/講談社)から転載

※トップ画像は、焼失前の正殿。「Webサイト 日本の城写真集」より。

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