リモートワークが日常となった現代。働き方はもとより、暮らし方、生き方がオリジナリティに富み、ウェルビーイングを求めた多様な個々人の在り方が当たり前の風景となりました。そうした人生の中で “移住”というキーワードが注目され、日本中の様々な自治体が移住プログラムを推進、あらゆるメディアでも見にすることが多いですよね。さて、それでは実際に移住をした方々の移住後の想いはどうなのか。ちょっと興味が湧いてきませんか。ということで、いいこともあれば、ちょっと辛いこともあり。三者三様、移住者さんに聞いちゃいました。今回は移住先に大分県を選ばれた3組にご登場いただきます。
画像ギャラリーリモートワークが日常となった現代。働き方はもとより、暮らし方、生き方がオリジナリティに富み、ウェルビーイングを求めた多様な個々人の在り方が当たり前の風景となりました。そうした人生の中で “移住”というキーワードが注目され、日本中の様々な自治体が移住プログラムを推進、あらゆるメディアでも目にすることが多いですよね。さて、それでは実際に移住をした方々の移住後の想いはどうなのか。ちょっと興味が湧いてきませんか。ということで、いいこともあれば、ちょっと困ったこともあり。三者三様、移住者さんに聞いちゃいました。今回は移住先に大分県を選ばれた3組にご登場いただきます。第1回は石黒紘久さんです。
セカンドキャリアのため移住を決断
大分県西部に位置する玖珠(くす)町。18ある自治体の一つで、県庁所在地である大分市ならクルマで1時間もかからず、福岡市へも1時間半というアクセス至便な自然も豊かな場所。水に恵まれ、寒暖差が大きく、肥沃な赤土で育まれたお米〈玖珠米〉が特産。この地に移住を果たしたのが今回登場いただく石黒 紘久さん。フットサルのプロプレーヤーとして活躍後、ある企業のオーナーからの誘いがあって玖珠町に移住することになったのだそう。
石黒:大学を卒業後、プロとして名古屋に5年、静岡で5年、それから大分のチーム(バサジィ大分)に1年所属しました。アスリートとして大分で暮らしたのは1年でした。
その後、東京と茨城で活動。茨城での時間は選手であるとともにチーム運営にも携わるなどいい経験を積んでいた。
石黒:チームが自治体(茨城・守谷市)との提携や企業スポンサーもついたタイミングで、ある企業オーナーから相談を受けました。大分に進出の予定があって、その地の自治体に協力隊として行ける人がいたら紹介してほしい……と。
10数年のプロ生活の中でセカンドキャリアについても考えていた石黒さん。そこでプレーヤーの引退とともに玖珠町の“地域おこし協力隊”として大分県への移住という大きな決断をする。
※地域おこし協力隊・・・地域おこし協力隊は、都市地域から過疎地域等の条件不利地域に住民票を異動し、地域ブランドや地場産品の開発・販売・PR等の地域おこし支援や、農林水産業への従事、住民支援などの「地域協力活動」を行いながら、その地域への定住・定着を図る取組です。隊員は各自治体の委嘱を受け、任期はおおむね1年から3年です。(総務省HP)
石黒:正直、「協力隊って何?」という思いもありましたよ。でも、挑戦することにしたんです。玖珠町の担当者との面接、町長との面談などを経て採用いただけました。自分にフィットする契約スタイルを玖珠町で認可いただけたのも大きなきっかけですね。それに大分で暮らした経験もあったので、場所としての不安はありませんでした。
“地域おこし協力隊”として果たしていきたい役目
自治体と関係を築きながら、もっと様々な補助金などの勉強もしてみたいと考え、それには最適な環境だと考えたそうで……
石黒:協力隊はコミュニティ型とミッション型があるのかと思います。コミュニティ型は地域の方とのコミュニケーションを主体とした活動。自分の方は企業誘致やスタートアップ支援を行うミッション型の取り組みです。他自治体ではあまり聞いたことがなかった動きなので、それも今回の移住の決め手になりました。企業のことも知ることができ、そこに使える補助金のことなども学べるいい機会になるはずだと。
“地域おこし協力隊”の任期は最長3年。その時間は貴重な体験になるはずと石黒さん。
石黒:行政の方々と一緒に動きながら、社会を学ぶチャンスがたくさんあると思うんです。3年後の自身のために自分を見つめ直すにはちょうどいい時間になるのではないかと。協力隊として活動した後、補助金などを活用して起業し、この地に暮らし続ける。協力隊はそんな移住のための一つの入り口にもなり得ていくと思います。
移住先での新たな一歩
元アスリートの仲間も増やしていきたいのだそう。
石黒:アスリートは社会経験がどうしても薄くなってしまうんです。ですから協力隊にもっとスポーツ選手を採用してもらいたいと考えています。自身のセカンドキャリアへの道として経験を積むということもありますが、同時に応援してもらった人間が、今度は応援する側になるんです。大分のチームに所属して、別チームに移籍したとしても今度は大分の町おこしのために帰ってきた……なんていいじゃないですか。元選手が町おこしで戻ってきたということで、その町がフォーカスされるだけでも十分町おこしの一つになっているし。すでに一人、大分で一緒にプレーしたチームメイトが協力隊に参加しています。彼は玖珠町のデジタル地域通貨発行に向け奮闘中なんですよ。
次のステップへ踏み出した石黒さん。その新たな思いとは……。
石黒:実は今年9月末で協力隊を辞任しました。次へのステップです。協力隊でメインの仕事としてやってきたのが企業誘致でしたが、その誘致した一つ、玖珠町のふるさと納税事業に参画する会社に転職しました。これまで行ってきた地域おこしを行う事業者と玖珠町を繋ぐ側から、事業者として玖珠町の地域おこしを行う側になります。転職先の代表とは当初、スポーツツーリズム的な事業のアドバイザーという立場での関係を考えていたのですが、それも合わせて玖珠町の魅力を全国へ知らしめていこうと。玖珠町は小学生のサッカーが強かったり、スポーツ施設が充実しているので、スポーツを通して玖珠町に人が集まるようになればという思いがあります。
協力隊として移住1年で転職。職場こそ変わることになるそうだが、玖珠町への想いがますます熱くなっているそうだ。
石黒:確かに所属する組織は変わりますが、仕事のベースとなる空間は変わらないんですよ。廃校になった中学校をサテライトオフィスに整備してあり、そこが私の“地域おこし協力隊” としての活動のベースなのですが、誘致した企業もオフィスをそこに置いているんです。現在7社が入っています。僕の転職先もあります。関わり方こそ違っていますが、玖珠町と繋がっていくことに違いはありません。
玖珠町って「すごくちょうどいい田舎」
玖珠町の行政の熱量は高いと石黒さん。彼の落ち着いた雰囲気の中から発せられる言葉にも同じような熱さが詰まっていて……
石黒:玖珠町はやってみよう精神が強いんですよ。人口が減っている、こどもが減っている。でも維持するための働きかけに前向きに取り組んでいます。
玖珠町から離れる気は全くないと話す石黒さんに、その魅力を聞いてみると……
石黒:企業誘致の仕事をしている頃から考えているんですけど、なかなかうまい言葉が見つからないんですよ。水が合うという感覚なんですね。ただ、移住という視点で言えば「すごくちょうどいい田舎」。玖珠町の中だけでも生活に困らないし、自然も豊かだし、選べばもっと自然の中へ行ける。病院に行くのが遠いとかがあるとちょっと考えてしまうかもですが、玖珠町は基本的な生活に不自由がない環境です。仕事の関係上、九州全域はもちろん大都市圏への移動も多いのですが、福岡へ出るのが大変便利な場所であることもこの地が気に入っている理由。
自然な人との繋がりを感じられるのも魅力になっているとも。
石黒:やはりコミュニケーションは大事。プロアスリート時代は基本的に都市圏での暮らしでしたが、その時には感じられなかった感覚を久しぶりに体験しました。僕は愛知の田舎育ちですから、町の人と会って、見かけたら話しかけてくれるという当たり前のことが、玖珠町でも当然のこととして行われていて。これこそ残さなければいけないことだなぁ……と思っています。
あえて困ったことを伺うと……
石黒:あまりないんですよね。一つ挙げれば家賃が思ったよりも安くないこと。というか単身用の物件が少ない。自衛隊の駐屯地があったりもして、ファミリー用が多いからですかね。それと、夏はめちゃくちゃ暑くて、冬はめちゃくちゃ寒い。日本で一番気温が高くなる日田市の隣ですから。冬も年に数回しっかりと雪が降ります。近くにスキー場もあるし。雪が降ったら諦めてその時を楽しむ感覚でいられることは、玖珠町に移住してからの変化ですね。
“移住”がより夢あるものになるように
最後に、石黒さんの移住とは……を伺ってみると。
石黒:自分に合った場所を見つける旅みたいな……。自分の場合はプロフットサルプレーヤーとして移籍を経験していることが大きいですね。チャレンジとか移住ということにハードルが低い人間だと思います。そこに居続けなければ……という感覚ではなくて、お試しみたいな感じでも行くことができる。行政によってはたとえばお試し移住とかいろいろな移住体験が用意されてもいますし。あまり構えずに、旅に来て、いい居場所だから……というきっかけだっていいし。ダメなら次!……と思う。ただ、移住先に大きな夢というか想いは持っていていいじゃないですか。
企業誘致によって玖珠町で事業展開されている企業と住民との接点がまだ作れていないのが今後の課題という石黒さん。各企業がよそ者にならないよう、そこを結びつけること、それによって玖珠町の雇用拡大にもつなげていきたいと語る。その言葉には移住者であるという意識の以前に、玖珠町の住人としての矜持が明確に芽生えている。玖珠町出身で「夕焼け小焼け」の口演童話家・児童文学者である久留島武彦が使い始めたと言われる言葉「継続は力なり」。石黒さんの移住という玖珠町での旅は、この言葉のように石黒さんに大きな力を与えることになるだろう。
写真:児玉晴希
編集、執筆:エディトリアルストア
※令和6年11月13日現在のものです。
※敬称略