頻繁に手を入れて進化
GTOの進化は以下のような感じで行われたが、フロントマスクは合計3種類、基本的にエンジンはほとんど変わっていないが、トランスミッションほかにも手を入れた。その大きな役割を果たしているのはN1耐久レースで、それに合わせた進化も見逃せない点だ。6ポッドキャリパーのオプション設定などその最たるもの。GT-Rの牙城を切り崩すことはできなかったが、サーキットでの三菱をアピールすることには成功した。
【GTOの進化の歴史】
■1992年1月
ホイールを17インチ化、電動格納式ドアミラーを採用など
■1992年10月
ブレーキディスクを17インチ化、リアに対抗2ポッドキャリパー採用、キーレスエントリー採用など
■1993年8月
軽量化モデルのMRを追加。オプションでAPロッキード製の6ポッドキャリパー採用、リアハイブリッドLSDをツインターボ、MR(軽量化モデル)に標準採用
■1995年8月
NAのグレード名称をSRに変更
■1996年
フロントバンパーとリアスポのデザイン変更&アクティブエアロの廃止。ターボ系に18インチアルミを初採用
■1997年
ABSを標準化
■1998年8月
大型リアスポイラーの採用、ヘッドライトのデザイン変更。軽量化(5%程度)
■2001年8月
生産終了
中古車はあり得ないほどの高騰はしていない
最後に中古車のお話。
GTOの中古車はタマ数が少ない。特にリトラクタブルヘッドライトの初期モデルはかなりレアな存在となっている。探しても全国で30台前後で推移するなかのごく少数。メインは中期の丸2灯を埋め込んだ固定ヘッドライトタイプ
中古相場は、同時期のジャパニーズスポーツカーに比べるとあり得ないほどの高騰はしていないので100万円前後からあるが、安いモデルは3ℓ、NA+4ATの組み合わせとなる。ツインターボMRで200万円前後、高いもので450万円前後となる。
敢えて今GTOに乗るのもオツなもの。ただし内装など欠品パーツに注意すべし。
本当にいい時代だった
三菱が凄かったのは、前述のとおりモデルライフ中にしっかりと手を入れてクルマを進化させたことだ。日本では台数的に苦しい面もあったが、GTOのメインマーケットである北米での評価、人気とも高かったから予算を割くことができたのだろう。
北米では、オープンモデルも発売されたり、提携関係にあったクライスラーでは、ダッジステルスが人気となるなど、スポーツモデルとして失敗作では決してない。
アメリカ志向のクルマは日本では売れない、という定説めいたものがあるが、GTOもその典型的な一台と言えるだろう。
ただ効率重視で、『売れないから作らない』、『日本で販売しない』という今に比べて、バブルの勢いがあったとはいえ、非常に夢のある時代だったと痛感させられる。1990年代の日本のスポーツカーをオモシロくしてくれた存在であることは間違いない。
【三菱GTOツインターボ主要諸元(デビュー時)】
全長4555×全幅1840×全高1285mm
ホイールベース:2470mm
車両重量:1700kg
エンジン:2972cc、V6DOHCツインターボ
最高出力:280ps/6000rpm
最大トルク:42.5kgm/2500rpm
価格:398万5000円(5MT)
【豆知識】
三菱エクリプスはGTOがデビューする前年の1989年に初代モデルが登場。アメリカマーケットをターゲットとしたスペシャルティカーで、日本にはGTOの2カ月前に販売を開始。最上級モデルはギャランVR-4と同じ2L、直4ターボ+4WD。全長4395×全幅1690×全幅1320mmと日本でも扱いやすいサイズということで一定数が売れた。提携していたクライスラーではイーグルタロン、プリムスレーザーとして販売されていた。
市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。
写真/MITSUBISHI、CHRYLER