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世界一のカキ産地だったニューヨーク

ニューヨークに向かう飛行機の中で、わたしは一冊の本を読みふけっていました。アメリカの作家マーク・カーランスキーが書いた『牡蠣と紐育』(扶桑社)という本です。

アメリカ東海岸のカキについての知識は、著名なカキ博士であった今井丈夫先生から学んでいました。

東海岸のカキは、学名を「クラスオストレア・ヴァージニカ」といい、日本では「大西洋ガキ」とよばれていること。貝柱が付着しているところの貝殻が青紫色をしているので「ブルーポイント」とよばれていること、日本のマガキに比べて殻は平べったいが、独特の味わいがある、ということなどでした。

サンフランシスコから北のアメリカ西海岸のカキは、百年前、沖縄出身の宮城新昌が、宮城県産の種ガキを移植に成功し、「パシフィック・オイスター」の名で今でも養殖されています。そのことを調べるため、わたしはシアトル沿岸を訪れ、『牡蠣礼讃』(文春新書)という本を出版したほどです。

でも、ニューヨークとカキについては、まったく知識がありません。成田からニューヨークへのフライトの13時間をかけ、この大作を一気に読みました。驚くことに、なんと18世紀中ごろまで、世界一のカキの生産地はニューヨーク湾だったというのです。

1609年、オランダにやとわれたイギリスの探検家、ヘンリー・ハドソンが、「ハーフ・ムーン号」でニューヨーク湾にたどりつきました。そのときハドソンが目にしたのは、ニューヨーク湾のカキをふんだんに味わっている先住民の人々だったのです。

ニューヨーク湾は大きな川がそそぐ大汽水域でした。ハドソンの名にちなんで、もっとも大きな川が「ハドソン川」と命名されました。

カーランスキーは、「近代文明の象徴、摩天楼が大きな顔をしているこの地は、白人が足を踏み入れる前は、大自然の恵み豊かなエデンの園のような地であった」と書いています。

ハドソン川の河口の汽水域には、250平方マイル(約650平方キロメートル)にわたって、カキの繁殖地が広がっていました。かつてニューヨーク湾には、世界じゅうのカキの優に半数が生息していただろうという生物学者がいるそうです。ですから、この地域の人々は、わざわざ遠くへ行かなくても、熟した果実をもぎとるように、浅瀬でカキをとることができたというのです。

ニューヨークの人口は、急速に増えていきました。汚物処理は黒人奴隷の仕事でした。夜遅く、奴隷たちは次々と汚物の入った桶を頭にのせて川に運び、まさにカキの繁殖地である川に捨てていたのです。

1800年代になると、ニューヨークでは恐ろしい伝染病が流行るようになりました。原因はおそらく生ガキにちがいない、ということになり、「オイスター・パニック」といわれました。

オイスター・パニックから2~3年して、フランスの化学者ルイ・パスツールは、「病気は細菌によって引き起こされる」という理論を展開させました。

長年疑われていた、カキと腸チフスとの因果関係も、1890年代にわかりました。公衆衛生機関の調査で、水とカキからサルモネラ菌が検出され、それが腸チフスをくりかえし発生させる原因であることがつきとめられたのです。サルモネラ菌の発生源は汚水であり、カキのせいではないこともたしかめられました。

1924年7月25日の『ニューヨークタイムズ紙』の社説には、

「ハドソン川には毎年、1400万トンもの汚物が流れこんでいると試算されました。ニューヨークの半径20マイル(約32キロメートル)以内の港や海岸の海は、あらゆる種類の廃棄物であふれています。工場からの排出物や船から流れ出る油に加えて、ゴミや下水も……。そのせいで、どんよりしているのです」

と記されていたということです。

…つづく「【追悼】畠山重篤さん「海と森」を愛した「カキじいさん」国連授賞式で拍手喝采を浴びた「感動のスピーチ」…美智子さまがご縁をつないだ」では、授賞でニューヨークを訪れたカキじいさんが、かつて世界一のカキの産地だった、アメリカのスタテン島をめぐります。

連載カキじいさん、世界へ行く!特別編
構成/高木香織

●プロフィール
畠山重篤(はたけやま・しげあつ)

1943年、中国・上海生まれ。宮城県でカキ・ホタテの養殖業を営む。「牡蠣の森を慕う会」代表。1989年より「海は森の恋人」を合い言葉に植林活動を続ける。一方、子どもたちを海に招き、体験学習を行っている。『漁師さんの森づくり』(講談社)で小学館児童出版文化賞・産経児童出版文化賞JR賞、『日本〈汽水〉紀行』(文藝春秋)で日本エッセイスト・クラブ賞、『鉄は魔法つかい:命と地球をはぐくむ「鉄」物語』(小学館)で産経児童出版文化賞産経新聞社賞を受賞。その他の著書に『森は海の恋人』(北斗出版)、『リアスの海辺から』『牡蠣礼讃』(ともに文藝春秋)などがある。

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高木 香織
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