松平定知の「一城一話55の物語」

第1位に輝くお城の物語は? 松平定知の「一城一話55の物語」人気記事ベスト10発表!

『その時歴史が動いた』や『連想ゲーム』などNHKの数々の人気番組で司会を務めた元NHK理事待遇アナウンサーの松平定知さんは、大の“城好き”で有名です。2023年の11月から連載を開始し、2024年の11月に最終回を迎えた『松平定知の「一城一話55の物語」』の中から人気だった記事10選をランキング形式で発表! 旗本の末裔で、NHK時代に「殿」の愛称で慕われた松平さんの妙趣に富んだ歴史のお話をお楽しみください。

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『その時歴史が動いた』や『連想ゲーム』などNHKの数々の人気番組で司会を務めた元NHK理事待遇アナウンサーの松平定知さんは、大の“城好き”で有名です。2023年の11月から連載を開始し、2024年の11月に最終回を迎えた『松平定知の「一城一話55の物語」』の中から人気だった記事10選をランキング形式で発表! 旗本の末裔で、NHK時代に「殿」の愛称で慕われた松平さんの妙趣に富んだ歴史のお話をお楽しみください。

第10位『“城”を築かなかった武田信玄、「躑躅ヶ崎館」を本拠とした意味は?「情報こそが勝利の近道」戦国最強の武田軍団はこうして作られた』

躑躅ヶ崎館跡 Photo by Adobe Stock

【躑躅ヶ崎館】(別名・武田氏館)

武田信玄の父、信虎が永正16(1519)年に築城。信虎、信玄、勝頼と3代にわたって武田氏の本拠となる。背後に要害山城があり、平時は居館で有事は山城という使い方をしたため館の名前がある。この館と家臣団の屋敷、城下町が一体となり、甲府市の原型となった。甲府城完成後破却され、現在は信玄を祀る武田神社となっている。

住所:山梨県甲府市古府中町2611

※松平定知さんのコラムは下記のリンクから読めます

・“城”を築かなかった武田信玄、「躑躅ヶ崎館」を本拠とした意味は?「情報こそが勝利の近道」戦国最強の武田軍団はこうして作られた
https://otonano-shumatsu.com/articles/422423

第9位『77万石を安堵されたのはなぜか 家康の脅威に備えた鹿児島城と関ヶ原で伝説を作った島津義弘』

147年ぶりに復元された鹿児島(鶴丸)城の御楼門。2020年3月に完成した Photo by Adobe Stock

【鹿児島城】(別名・鶴丸城[つるまるじょう])

慶長6(1601)年、島津義弘の子で初代薩摩藩主・島津家久が城山に築いた平城。関ヶ原の戦いで敗れた島津氏が、家康の脅威に備えて作ったものだが、城山を背にしたシンプルな作りが特徴。本丸と二の丸のほかはなく、御楼門以外に天守や櫓もなかった。領内に設置された支城が敵の侵入を防ぐため、簡素な作りでよかったと考えられる。御楼門(ごろうもん)は1873(明治6)年に焼失したが、2020年3月に復元された。

住所:鹿児島市城山町7ー2

※松平定知さんのコラムは下記のリンクから読めます

・77万石を安堵されたのはなぜか 家康の脅威に備えた鹿児島城と関ヶ原で伝説を作った島津義弘
https://otonano-shumatsu.com/articles/371103

第8位『失敗しても何度も復活!秀吉の最古参の家来・仙石秀久はいかにして戦国の世を生き抜いたか 小諸城と「戦国の失敗学」』

小諸城址の「三の門」 Photo by Adobe Stock

【小諸城】(別名・酔月城、白鶴城)

1487年、戦国大名大井光忠によって築城され、武田信玄が侵攻し、山本勘助らに命じて拡張整備された。徳川政権樹立後は初代小諸藩主・仙石秀久によって三重の天守や大手門などを建造、子の忠政が完成させた。城郭部が城下町よりも低く「穴城」ともいわれる。重要文化財に指定される大手門は平成の大修理によって1612年、仙石秀久が築いた当時に復元された。1926年には、小諸城址懐古園として近代的な公園に整備された。

住所:長野県小諸市丁311(小諸市懐古園事務所)

※松平定知さんのコラムは下記のリンクから読めます

・失敗しても何度も復活!秀吉の最古参の家来・仙石秀久はいかにして戦国の世を生き抜いたか 小諸城と「戦国の失敗学」
https://otonano-shumatsu.com/articles/404905

第7位『秀吉と家康に怖れられた“戦国最強”の男は誰か? 大分・中津城で見た天下取りの“夢の跡”』

中津城 Photo by Adobe Stock

【中津城】(別名・扇城、せんじょう)

天正15(1587)年、豊臣秀吉の九州平定に伴い、黒田官兵衛が豊前6郡の領主として入国。翌年から築城を開始するも、官兵衛の時代には完成せず、関ヶ原の軍功でこの地を与えられた細川忠興が工事を引き継ぎ、元和6(1620)年に完成させた。模擬天守北側の堀の石垣にy字になっている部分があるが、右側が黒田時代、左側が細川時代の石垣だという。その後小笠原氏が城主となるも享保2(1717)年、奥平氏が入城。以来明治維新まで奥平氏の居城だった、奥平氏は家康の娘・亀姫が嫁ぎ、長篠の合戦で活躍した奥平信昌が有名。1964年鉄筋コンクリートで五重五層の模擬天守が再建。堀には海水が引き込まれ、今治城、高松城とともに日本三大水城とされる。

住所:大分県中津市二ノ丁本丸

※松平定知さんのコラムは下記のリンクから読めます

・秀吉と家康に怖れられた“戦国最強”の男は誰か? 大分・中津城で見た天下取りの“夢の跡”
https://otonano-shumatsu.com/articles/356287

第6位『大坂夏の陣で落城した“世界一の大阪城” 400年前にタイムスリップ?実際の城が見えた2003年の発掘調査』

夕景に浮かぶ大阪城 Photo by Adobe Stock

【大阪城】

天正13(1585)年に完成した大坂城は天守、二の丸、三の丸があり天守は五層八階、黒漆塗りの下見板と金箔瓦、金の飾り金具をつけた望楼型天守であったと伝えられる。慶長20(1615)年、大坂夏の陣で灰燼に帰した大阪城だが、寛永3(1626)年、秀忠の時代に白漆喰総塗籠の天守閣が再建された。しかし、4代将軍・家綱の時代に焼失、以来再建されなかったが、昭和6年に豊臣時代の天守を模して再建、鉄筋コンクリートで作られた初めての城となる。ちなみに大坂が大阪になるのは明治維新以降。

住所:大阪市中央区大阪城1番1号

※松平定知さんのコラムは下記のリンクから読めます

・大坂夏の陣で落城した“世界一の大坂城” 400年前にタイムスリップ?実際の城が見えた2003年の発掘調査
https://otonano-shumatsu.com/articles/342127

第5位『関ヶ原の戦いは“豊臣家内の覇権争い” 遺構がほとんどない石田三成の居城「佐和山城」』

佐和山城跡の佐和山観音  Photo by Adobe Stock

【佐和山城(さわやまじょう)】

鎌倉時代近江の守護職・佐々木定綱の息子が砦を築いたのが始まり。戦国時代になり、六角、京極、浅井三氏の争いの舞台になり、小谷城を本拠とする浅井氏の支城となるが、姉川の戦いで織田信長に敗れ、丹羽長秀が入城。堀秀政、堀尾吉晴と城主が変わり、天正18(1590)年、石田三成が19万4000石で入城。大改修を行い、五層の天守がそびえていたというが落城後、井伊直政が入り彦根城に資材として運ばれ、遺構はほとんどない。
アクセス:滋賀県彦根市古沢町の龍潭寺(りょうたんじ)からハイキングコースで向かうのがオススメ

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・関ヶ原の戦いは“豊臣家内の覇権争い” 遺構がほとんどない石田三成の居城「佐和山城」
https://otonano-shumatsu.com/articles/340393

第4位『家康の約束違反が明治維新に繋がったか 120万石から37万石に大減封、萩城に移った毛利輝元は何を思ったか』

萩城跡指月公園 Photo by Adobe Stock

【萩城】(別名・指月城[しづきじょう])

慶長9(1604)年、関ヶ原の戦いで敗れた毛利輝元は、中国8カ国120万石から、周防、長門2カ国37万石へと大減封となった。それに伴い広島城から日本海に突き出た指月山(しづきやま)143mの麓に築城したのが萩城だ。現在は天守台や石垣しかないが、天守台の石垣の反りは日本一美しいという人がいるほど。現在は萩城跡指月公園として整備されている。

住所:山口県萩市堀内1ー1

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・家康の約束違反が明治維新に繋がったか 120万石から37万石に大減封、萩城に移った毛利輝元は何を思ったか
https://otonano-shumatsu.com/articles/411274

第3位『本能寺の変で暗転した佐々成政の生涯 富山城を秀吉軍10万に囲まれるも大大名に復活、波乱の結末が待っていた』

富山城 Photo by Adobe Stock

【富山城】(別名・浮城、安住城)

天文12(1543)年に水越勝重(みずこし・かつしげ)によって築かれ、織田信長の家臣、佐々成政が城主になった。その後、越中は前田利家に与えられ、焼失した富山城を息子の利長が慶長14(1609)年、幕府に許可を得て再築城。かつては神通川に浮いているように見えたことから浮城と呼ばれた。本丸を三方から二重に取り巻く水堀が特徴で、虎口や曲輪のレイアウトは聚楽第がモデルとされるが、石垣や堀以外遺構はなく、現在の模擬天守は松本城などがモデルにされた。城内は富山市郷土博物館になっている。

住所:富山市本丸1-62

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・ 本能寺の変で暗転した佐々成政の生涯 富山城を秀吉軍10万に囲まれるも大大名に復活、波乱の結末が待っていた
https://otonano-shumatsu.com/articles/408607

第2位『家康は、切腹と決まった真田昌幸・幸村親子の助命をどう聞いたか 93歳の天寿を全うした真田信之、松代城はかつて武田信玄も拠点にした』

松代城 Photo by Adobe Stock

【松代城】

武田信玄の軍師だった山本勘助が築城した海津城をベースにする平城で松代真田家3代、幸道の時に松代城と改められた。明治に廃城となって壊されたが、平成に入って復元が進み、本丸太鼓門や太鼓門前橋、二の丸土塁などが完成した。桜の頃はひときわきれいで多くの観光客が訪れる。

住所:長野市松代町松代44

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・ 家康は、切腹と決まった真田昌幸・幸村親子の助命をどう聞いたか 93歳の天寿を全うした真田信之、松代城はかつて武田信玄も拠点にした
https://otonano-shumatsu.com/articles/412923

第1位『高田城の城主だった松平忠輝「幽閉67年」 何が父・家康に嫌われたのか』

高田城三重櫓 Photo by Adobe Stock

【高田城】

徳川家康の六男・松平忠輝の居城として天下普請(徳川幕府が諸大名に命じて工事をさせること)によって築城。工事の総監督は忠輝の舅でもあった伊達政宗。すべての曲輪に土塁が採用され、石垣のないのが特徴。わずか4カ月で完成し、天守はなく三重櫓が代用された。三重櫓は平成5(1993)年に再建。現在は桜の名所として知られ、日本三大夜桜のひとつとされる。

住所:新潟県上越市本城町6ー1(高田城址公園内)

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・ 高田城の城主だった松平忠輝「幽閉67年」 何が父・家康に嫌われたのか
https://otonano-shumatsu.com/articles/396224

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