不易流行のもと、6代目が挑む新境地
こちらは、蔵の名前を冠した「天山」や、東京でも人気で私も大好きな「七田」、同じ「七田」と言う名前の米焼酎などを醸しています。みなさんも、どれかをきっと口にしてるんじゃないかな。
蔵に着いてまず驚いたのが、周囲の環境(小雨が降っていて、うまく撮れてませんでした。ごめんなさい)。きれいな小川と緑に囲まれたところにあって、空気がおいしい。そんな環境で造られるお酒たちです。おいしいに決まってます!
「天山酒造」さんのルーツとなったのは水車業。それを発展させ1861(文久元)年に、まずは製粉・製麺業を開始します。その後、酒米の精米なども引き受けていた関係で、廃業する地元の酒蔵を購入することに。当初は酒造りを行う予定ではなかったものの、近隣で「酒造りも始めるらしい」と噂になってしまい、女性蔵元の七田ツキさんが酒造業をもスタート。1875(明治8)年のことだそうです。
稲作が盛んであり、きれいな水がふんだんにある土地。さらに蔵が格言としている「不易流行」の言葉通り、よりおいしいものを造る、新たな時代に挑戦する姿勢で、全国に多くのファンを持つ蔵へと成長しています。
そんな歴史を、重厚な洋室(社長室?)で伺います。六代目蔵元となる謙介さんも、最新機器の充填ラインを稼働させたり、世界に通用するスパークリング日本酒の開発に取り組んだりと、やはり「不易流行」の言葉を持って活動しています。
そして、もうひとつ。謙介さんが力を入れているのが、心に残るエンターテインメント性のある蔵にすること。海外のワイナリーをいくつも視察しているうちに「どこも造る過程のことを多くは語らないんです。それよりも印象深いコースや試飲スペースなどに力を入れていて。見学の後、おいしさもあるんですが、楽しい思い出からまた行きたいとなるんですよ。そこで、当蔵も印象に残る蔵見学ができる場にしようと思って」。
そして今、蔵には木桶を使ったアート作品の展示スペースやピタゴラスイッチを思わせるお酒ができるまでを解説する装置などが設けられています。
お酒を詰めていた瓶が並ぶ見学コースのエントランス。「七田」の七をとって華やかにしているのかなと思ったら、造りによって異なるラベルの色を配色しているのだそう。日本酒蔵っぽくない色遣いで、かわいいし、この先に何が待っているんだろうとググンと期待度もアップです。
2階には使用しなくなった木桶や、それを使ったアート作品が並びます。高い天井、そこから伸びる光もあって、荘厳さもあるんですよね。
横に倒し、中でちょっとした作業ができるようにした木桶も。もちろん、ここでお酒を飲めたら楽しいだろうなあが最初の感想(笑)。あーお家にひとつ持って帰りたい!