ラー博30年、あの伝説のラーメン店

門外不出の味! 札幌の名店「すみれ」の味噌ラーメンが新横浜でなぜ味わえたのか 出店までの3年間の軌跡 「ラー博」伝説(1)

神奈川・新横浜にあるラーメン博物館(以下、「ラー博」と記載)。2024年に30周年を迎えたラー博では、2022年7月1日から30周年企画として、過去に出店した36店舗の銘店を2年間かけ、リレー形式で出店するプロジェクト「あの銘店をもう一度」をスタートしました。同企画に出店した各店のバックストーリーを館長である岩岡洋志さんが語ります。今回は「すみれ」です。

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全国のラーメンの名店が出店する「新横浜ラーメン博物館」(ラー博)は、年間80万人以上もの客が訪れる“ラーメンの聖地”です。横浜市の新横浜駅前にオープン後、2024年3月に30年の節目を迎えましたが、これまでに招致したラーメン店は50店以上、延べ入館者数は3000万人を超えます。岩岡洋志館長が、それら名店の「ラーメンと人が織りなす物語」を紡ぎました。それが、新刊『ラー博30年 新横浜ラーメン博物館 あの伝説のラーメン店53』(講談社ビーシー/講談社)です。収録の中から、札幌「すみれ」を紹介します。

『ラー博30年 新横浜ラーメン博物館 あの伝説のラーメン店53』(講談社ビーシー/講談社、1760円)

ラー博は最初の8店8人の決断で始まった

私にとって新横浜ラーメン博物館創業時(1994年3月6日)の8店舗は思い出深いものです。当時空き地だらけの新横浜に、お客さまが来るのか?ラーメンを食べるのに入場料を取るのか?

前例のない新たなモデルでもありましたし、そんな数々のハードルを越えてご出店いただいたのが最初の8店舗です。いわば、8店舗の8人の店主の決断から始まったのです。

札幌「すみれ」、「喜多方 大安食堂」、東京・新高円寺「げんこつ屋」、東京・中野「野方ホープ」、東京・目黒「支那そば勝丸」、横浜「六角家」、福岡「一風堂」ら、すでにラー博を卒業した7店と、現在も出店中の熊本「こむらさき」の8人8店主です。

そのなかでも、出店いただくまでに最も苦労した札幌の「すみれ」には3年間で100回以上通いました。だからこそ、出店いただくことが決まった日は、本当にうれしかった……。当時の思いとともに「すみれ」の歴史を振り返っていきたいと思います。

開業した新横浜ラーメン博物館に出店した当時の「すみれ」外観=1994年

【「すみれ」過去のラー博出店期間】
・ラー博初出店:1994年3月6日~2004年10月31日、2012年8月30日~2018年12月2日
・「あの銘店をもう一度」すみれ1994出店:2024年1月9日~2月5日

1964年、東京五輪の年に誕生した「純連」

東京オリンピックが開催された1964年、札幌「純連(すみれ)」は産声を上げました。創業者の村中明子(むらなか・あけこ)さんは、当時札幌を席巻していた「味噌ラーメン」とは違い、「もっとこってりしていて、若い人たちが集まるような味噌ラーメン」をと思い、ほぼ独学で現在の味噌ラーメンを作り上げました。

「純連」創業者の村中明子さん=1982年

屋号の「純連」は「若い人がたくさん集まる」という意味を持ち、純連と書いて「すみれ」と読みました。

ではなぜ、現在の札幌には、「純連(じゅんれん)」と「すみれ」の2つの店舗が存在するのでしょうか?

簡単に説明しますと、明子さんの長男である村中教愛(むらなか・のりよし)さんが「純連(じゅんれん)」の店主であり、三男である村中伸宣(むらなか・のぶよし)さんが「純連(すみれ)」の店主なのです。ラーメン博物館に最初に出店していただいた立役者8人のうちのひとりです。

本当の屋号は「すみれ」なのに、なぜ「じゅんれん」?

しかしこれだけの説明ではすべてを語れません。最初に申し上げたように1964年の開業当時は、「純連」と書いて「すみれ」と読みました。しかし、オープンして月日がたち、お店の看板の「純連」という文字の上にふられてあったフリガナが、長年の雨風によって取れてしまい、本当の屋号を知らないお客さまが、「じゅんれん」と呼ぶようになったのです。

創業当時の「純連(すみれ)」の店舗

その後、札幌屈指の人気店となった「純連」でしたが、1982年の6月末に、突然店を閉めることになったのです。それは明子さんが股関節亜脱臼になり、これ以上、仕事を続けることができなくなったからでした。

しかし、明子さんはあきらめることができず、翌1983年に、約1年間のブランクを経て、「純連」を再開しました。

この時、当時のお客さまのほとんどが「純連」のことを「じゅんれん」と呼んでいたため、あえてもともとの屋号であった「すみれ」とは呼ばず、「じゅんれん」の屋号で再開することとなったのです。

その後、跡を継いだ長男の教愛さんが1987 年に、正式に「純連( じゅんれん)」の名で店をオープンし、1989年には三男の伸宜さんが、「純連(すみれ)」の名で店をオープンしました。

こうして明子さんが作り上げた味は、2つの屋号で現在まで継承されているのです。

館長・岩岡が衝撃を受けた味。ラー博に出店へ

私と、「すみれ」となった「純連」との出会いは、新横浜ラーメン博物館がオープンする3年前の1991年でした。

ラー博の創業者である私・岩岡が、調査のため、全国を食べ歩いていた頃です。当時のメモが残っていますが、私は相当な衝撃を受けました。

私は食べたあとすぐに「純連(すみれ)」のお店で、「横浜でラーメン博物館を開業する予定があり、ご出店いただけませんか?」と、いきなり交渉をしていたのです。

ラー博30周年の出店で30年ぶりに復活した濃厚味噌ラーメン

もちろん門前払いでしたが、横浜に戻った私はメンバーにこう断言していました。

「札幌の純連(すみれ)の味噌ラーメンは衝撃の味だ。これを横浜に持ってきたら絶対ラーメン博物館の目玉になる!俺はあきらめず何度でも通う!」

私はまずは顔を覚えてもらうため、札幌に行くと5日間は滞在し、昼と夜、毎日ラーメンを「純連(すみれ)」に食べに行きました。そして4日目の日、ついにお店の店主である三男・伸宜さんから、「俺に何か用か?」と、声をかけていただける機会ができたのです。

私・岩岡はラーメン博物館の構想や夢を語るも、伸宜さんからは、「うちは家族経営でやっている。前にも言ったがこの店で手一杯なんだ。味も門外不出。だから、横浜でラーメンを作るなんて、無理な話だよ……」と、そこは断られてしまいました。

「横浜で勝負したい」という店主だったが……

それでも私は、めげずに何度も「純連(すみれ)」に通い続けました。ある時、店に行ったとき、伸宜さんは、こう話しました。「岩岡さん、何度来てもダメなものはダメなんだよ」と。そうは言われるものの、「私の名前を覚えてくれたのですね!」と、本人としては一歩前進と感じました。

職人の技が要求される濃厚スープ作り

その後も、伸宜さんが「競馬が好き」と聞けば、待ち伏せをして一緒に競馬に行ったり、食事に行ったりの間柄まで進みました。そして、伸宜さんからも、「なんでラーメン博物館をやろうと思ったのか――?」と、私への関心なのか、質問が出てくるようになっていったのです。

そんな関係を2年ほど続けていたある日、伸宜さんから連絡があったのです。なんと、「横浜で勝負してみたい。出店する方向で考える」――というれしい知らせがきたのです。

さっそく札幌に向かった私でしたが、「純連(すみれ)」に着くと、そこには浮かない表情の伸宜さんがいたのです。

いわく、「岩岡さん、この前の電話の話はなかったことにしてくれ。家族を説得できなかった。申し訳ない……」と、決まりかけた出店が白紙に戻ったのです。ラーメン博物館オープンまで7カ月を切ったタイミングでした。

出店OKの返事がなくても、店を作る決断を

私・岩岡はいろいろ考えた挙句、腹を決めて「ある決断」をしました。その決断とは、「出店の返事がなくても店を作って、伸宜さんが出店できるタイミングまで待つ」という、賭けに出ました。

すぐに、札幌に行き、伸宜さんにその旨を伝え、ラーメン博物館内の店舗図面と、パース(完成予想図)を手渡し、横浜に舞い戻りました。

そのときの私がラーメン博物館のスタッフに伝えた思いはこんな感じでした。

「約3年の間、100回以上通ったし、伸宜さんにもいろいろと事情があると思う。それがクリアになったときに気持ちよく出店してもらえるまで待つことにしたい。スタッフ皆は大反対だと思うけど(笑)」

そしてその数日後、突然札幌から、伸宜さんが新横浜に来られたのでした。

伸宜さんは、こう言ってくださいました。「岩岡さんが人生かけて勝負するラーメン博物館が、どれほどのものか気になってね。その景色、俺も一緒に見させてほしい」――と。

そして、「家族の反対を押し切って出店する。だから申し訳ないが、“純連”という屋号は使えない。ひらがなの“すみれ”でもいいか?」とも。

私は即座に答えました。

「はい!僕は伸宜さんのラーメンの味に惚れたんです! ひらがなの“すみれ”で来てください!」

「すみれ」中の島本店の濃厚味噌ラーメン

思えば、「純連(すみれ)」と出会ってから3年の歳月を経て、札幌の「すみれ」のラーメン博物館出店が決まったのです。その後、札幌のお店も、もとの「純連」の漢字の屋号から、ひらがなの「すみれ」となり、今に至ります。

「最初は詐欺師かと……」と

店主の村中伸宜さんは、当時の私への思いを次のように語ります。

「最初は詐欺師かと思いました(笑)。しかし何度も何度も通っていただき、次第に出店してみたいと思うようになりました。

「すみれ」店主の村中伸宜さん(右)とラー博・岩岡(左)。札幌の「すみれ」中の島本店で

ただ、“すみれ”の味は母が作ったもので、私の一存では決められないし、父と兄は大反対でした。反対したのは“絶対失敗する”という理由からでした。

私はお客さまが来るかどうかという不安よりも、この味が首都圏で通用するのか試してみたい、そして兄のお店“純連(じゅんれん)”を超えたいという思いのほうが強かったのです。

今考えればちっぽけなプライドですが、私にとってはラー博の出店が、人生の大きな分岐点でした」

1994年、ラー博オープン当時の味で復活

新横浜ラーメン博物館30周年企画「あの銘店をもう一度」“94年出店組”として4週間出店した「すみれ1994」。

今よりも濃厚だった1994年当時の味噌ラーメンを作るため、「すみれ」を卒業して独立したお弟子さんたちが、期間中交代で厨房に立たれました。その名も“すみれオールスターズ”。

4週間の出店期間中のべ28日間で食べられた丼ぶりの杯数は実に2万2685杯。1日平均810杯という驚異的な記録です。
伸宜さんによると、「30年前の1994年の味を再現した味噌ラーメンは高度な技術を要するため、熟練の職人しか作ることができません」とのこと。

私もこう思いました。「この期間中の伸宜さんは本当にかっこよかった」と。

一杯一杯、中華鍋で作る「すみれ」店主の村中伸宜さん

朝8時にはラーメン博物館に入り、休憩なしで調理と後方支援に回り、夜10時まで翌日の仕込みをして、お弟子さんたちを食事に連れていく……。

そんな毎日を28日間続けられたのです。伸宜さんからは“地獄のラーメン合宿所”と言われましたが(笑)、職人としての伸宜さんの素晴らしさが詰まった4週間でした。

■すみれ 中の島本店

現在の「すみれ」中の島本店

[住所]北海道札幌市豊平区中の島2条4丁目7-28

ラー博に期間限定出店した「すみれ1994」

厨房に立ったのは“すみれオールスターズ”の面々「すみれ」で修業し、卒業したお弟子さんたち。

「ラーメン郷」郷勇市さん

「ラーメン郷」郷勇市さん

「麺屋 彩未」奥雅彦さん

「麵屋 彩未」奥雅彦さん

「三ん寅」菅原章之さん

「三ん寅」菅原章之さん

「大島」大島剛史さん

「大島」大島剛史さん

「IOrI」山野内貴義さん

「IOrI」山野内貴義さん

「らぁめん千寿」青山茂寿さん

「らぁめん千寿」青山茂寿さん

「狼スープ」鷲見健さん

「狼スープ」鷲見健さん

「らーめん 福籠」畑谷雄飛さん

「らーめん 福籠」畑谷雄飛さん

「らーめんみかん」荒井永如さん

「らーめんみかん」荒井永如さん

「八乃木」穴澤岳美さん

「八乃木」穴澤岳美さん

「麺屋つくし」岩崎均さん

「麵屋つくし」岩崎均さん

「ら~麺 ふしみ」久保勝昭さん

「ら~麺 ふしみ」久保勝昭さん

『ラー博30年 新横浜ラーメン博物館 あの伝説のラーメン店53』2025年2月20日発売

『ラー博30年 新横浜ラーメン博物館 あの伝説のラーメン店53』(講談社ビーシー/講談社、1760円)

『新横浜ラーメン博物館』の情報

住所:横浜市港北区新横浜2-14-21
交通:JR東海道新幹線・JR横浜線の新横浜駅から徒歩5分、横浜市営地下鉄の新横浜駅8番出口から徒歩1分
営業時間:平日11時~21時、土日祝10時半~21時
休館日:年末年始(12月31日、1月1日)
入場料:当日入場券大人450円、小・中・高校生・シニア(65歳以上)100円、小学生未満は無料
※障害者手帳をお持ちの方と、同数の付き添いの方は無料
入場フリーパス「6ヶ月パス」500円、「年間パス」800円

新横浜ラーメン博物館:https://www.raumen.co.jp/

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