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酒の造り手だって、そりゃ酒を飲む。誰よりもその酒のことを知り、我が子のように愛する醸造のプロ「杜氏」は、一体どのように呑んでいるのか?今回は徳島県三好市にある三芳菊酒造を訪ねた。杜氏の馬宮亮一郎さんは、自身の道を突き進むことで、実家の酒蔵を瀕死の経営状態から見事に生還させた。普段はあまりやらない晩酌を楽しみながら、パンクな生き方、造りを伺ってきた。

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1999年、徳島県『三芳菊酒造』の杜氏に就任

【馬宮亮一郎氏】

馬宮亮一郎氏

1967年、徳島県生まれ。東京での大学生活は音楽活動に打ち込む。大学卒業後、都内のレコード店に勤務。1994年に実家の三芳菊酒造の蔵人になる。1999年、杜氏に就任。独自路線の甘酸っぱい日本酒を造り続けている。

フルーティな香りと甘み、確かな酸

「実は晩酌はほとんどしません。たまに出張先で買ってきた他の蔵の酒を勉強のために酌む」と杜氏は言った。三芳菊造場の杜氏・馬宮亮一郎さんだ。

「残骸」「BACK TO THE モンスターひやおろし」など風変わりな名前とイラストを使ったラベルで知られる蔵だ。どの銘柄にも、フルーティな香りと甘み、確かな酸が感じられる。

約30年前、蔵を継ぐ気はなく、レコード店で働いていた馬宮さんに、転機が急に訪れた。

「ある日、母から蔵がピンチだからお前はちゃんと就職しろと連絡がありました。母は続けたいが、売り上げは減り、借金は膨らむ一方。不動産は全部抵当に入っていたので、廃業はすべてを失うことを意味します。どうにかしなければと、家業に入りました」

地元で売れなければ、外の大都市圏で売るしかない。その頃、淡麗辛口の酒が人気だったが、目立たないと手に取ってもらえないと考え、当時はめずらしかった甘酸っぱくて果実香のある酒に振り切った。出だしは散々だった。

叩かれ、否定されても 自分を信じて造り続けた酒は心に沁みる甘酸っぱさ

「昔の価値観では、日本酒に酸があるのはレベルが低いと見なされた。腐っているとのクレームも多かった。2ちゃんねるでは『また三芳菊が妙な酒を出したぞ』『変なイラストで日本酒の品位を落とすな』と叩かれました。でも、いちいち気にしてくれている時点であなたはうちのファンですよと解釈しました。10年ほどして世の中に甘い風味の酒が増えた頃には、三芳菊にはコアなファンが大勢付いていました。背水の陣でなりふり構わず生き残ったんです」

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おとなの週末Web編集部
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