ゴミの島から復活した「夢の島」
東京都江東区には「東京湾埋立14号地」、通称「夢の島」と呼ばれる埋立地があります。1938(昭和13)年には、この場所に、水陸両用空港「東京市飛行場」を作る計画が正式に決まったそうです。しかし、日中戦争が起こったことで、物資が不足するなどして、中止に。その後、1947(昭和22)年に海水浴場としてオープンしますが、台風被害や財政難で、わずか3年で閉鎖されました。
昭和30年代から日本は高度成長期に突入し、国民の生活が豊かになっていくと同時に、人口も爆発的に増え始めます。それに伴い東京都内で発生するゴミも急増し、それまでの処分場ではまかないきれなくなりました。そこで1957(昭和32)年、ゴミの埋め立て処分場として選ばれたのが「夢の島」でした。一時期、東京で出たゴミの7割が、毎日5000台の収集車で運ばれたといいます。「夢の島」はゴミで覆われ、全国に「ゴミの島」として知られるようになりました。
1965(昭和)40年に、この場所は、ゴミ埋め立て地としての役目を終えます。新たに、隣の埋立15号地(通称”新夢の島”=現在の若洲)がゴミ埋め立て地として使われますが、同様にゴミの問題は続きました。ゴミをめぐる様々な変遷を経て、東京都では、各区で発生したゴミを区内で処分するようにし、ゴミの焼却処分を行う清掃工場が建設されていきます。その後、「夢の島」は芝生や樹木を植えて緑化され、1978(昭和53)年に「夢の島公園」となり現在に至っています(参照:夢の島公園HP)。