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洋食のコックからの転身、“食材の鬼”でもあった

「支那そばや」創業者の佐野実さんは1951年4月4日、横浜市戸塚区に4人兄妹の次男として誕生しました。高校卒業後、洋食のレストランに就職。それから17年間、コックとして店を渡り歩き、趣味でラーメン店の食べ歩きを重ねていました。そのうちに、休みの日には自宅でラーメンを作るようになり、いずれ独立してラーメン店を開きたい、という思いになったそうです。そして1986年8月6日、神奈川県藤沢市の鵠沼海岸に「支那そばや」を開店。35歳のときでした。開店から2年間は苦戦が続いたものの、研究の成果が出て少しずつお客さまが増えてきました。

藤沢市鵠沼時代の「支那そばや」は1986年の開店

“食材の鬼”という異名を持つ佐野さんですが、どうすれば美味しくなるのか?という探求心が、最終的に食材へと結びついていったのです。食材探求の入り口は鶏ガラでした。たまたま手に入った地鶏のガラでスープをとったところ、深みのあるスープができたのです。

そこで、いろいろな地鶏を試し、当時ベストだと思い至ったのが「純系名古屋コーチン」の鶏ガラでした。しかし当時の専門業者で、名古屋コーチンの鶏ガラだけを卸すところはなく、ましてやラーメン店に卸すところもなかったため、手に入れることができません。生産者と交渉を重ね、ようやく仕入れることが許されたのです。

厳選素材で作られるスープ。創業から2年、さまざまな地鶏を試すなかで、名古屋コーチンの鶏ガラを使うようになった

あるとき佐野さんはその鶏舎を訪れました。ブロイラーのようにケージの中で育てるのではなく、大きな鶏小屋に数十羽を放し飼いし、餌から水まで吟味され、雑菌や病気を防ぐための予防設備も充実していました。そのとき佐野さんは、「こういう食材だけでラーメンを作ったら、安全でおいしいラーメンが作れる。生産現場を訪ね、自分の目で確かめたものだけを使いたい……」と、思ったそうです。このことが“食材の鬼”の原点となったのです。

国産小麦を使うために、1200万円を投資して製麺室を

食材探しでは、全国のラーメン店を取材するなかで、佐野さんにとって大きな出会いがありました。山形県酒田市にある「味龍」のご主人の岡部正巳(故人)さんとの出会いでした。

佐野さんによると、この店の麺を食べたとき、「衝撃を受けた」とのことです。香り、滑らかさ、しなやかさは、これまで味わったことのない麺だったそうです。佐野さんは岡部さんに、「おいしいですね。なんの粉を使っているのですか?」と、尋ねました。すると、「国産小麦だよ。このあたりでとれる南部小麦の新種だよ」と、岡部さんは答えてくれました。

おいしさの秘密は「国産小麦」でした。調べると北海道には「ハルユタカ」というパン用の強力粉があることがわかりました。佐野さんはすぐに札幌に飛び、製粉会社と交渉しました。

しかし、当時は国産小麦の生産量も少なく、「分けるほど量がない」という理由で断られました。もちろん、あきらめることなく通い続けることで、ついに分けてもらえることになりました。

「支那そばや」の厨房に立つ佐野実さん

そして1200万円を投資して製麺室を作り、400万円もする製麺機を購入し、念願の自家製麺に切り替えたのです。佐野さんいわく、「完璧なゴールはないものの、国産小麦の特性を把握し、ある程度納得する麺を作るのに8年かかった」との述懐でした。

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