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歴代モデルとも不遇

高級パーソナルカーを目指して登場した初代はブルーバードベース、打倒ソアラに燃えて登場した2代目はスカイラインベース、そして3代目はコンセプトをガラリと変更してJフェリーのサブネームが与えられた北米向けセダン、そして最終の4代目はセドリック/グロリアのスキンチェンジ版と、高級路線というので一貫しているように感じるが、実際はバラバラ。

そう考えるとレパードというクルマは不遇だったが、歴代レパードで最も日産が力を入れ、存在感を持っているのは2代目と言えるだろう。2代目レパードは記録より記憶に残る一台と言っていいと思う。

セドリック/グロリアのスキンチェンジの4代目(1996~2000年)でレパードの系譜はジ・エンド

【2代目日産レパードアルティマ主要諸元】
全長4680×全幅1690×全高1370mm
ホイールベース:2615mm
車両重量:1460kg
エンジン:2960cc、V6DOHC
最高出力:185ps/6000rpm
最大トルク:25.0kgm/4400rpm
価格:383万7000円

1988年のマイチェンでグリルのデザインを変更したが印象は大きく変わらない

【豆知識】
オーテックザガートステルビオは、オーテックジャパンのオリジナルコンプリートカーの第一弾として1989年に200台限定で販売開始。ベースとなったのは3L、V6DOHCを搭載する2代目レパードで、イタリアのカロッツェリアであるザガートがデザインしたボディを架装。ミラーとフェンダーが一体化されたデザインは唯一無二のもの。車両価格は1780万円で、日本車初の1000万円オーバーカーとなった。200台限定を謳っていたが、実売されたのはその半分程度とも言われている希少車。

このアングルからだとミラーとフェンダーが一体になった特異なデザインがよくわかる

市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。
写真/NISSAN、TOYOTA、ベストカー

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市原 信幸
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