ソアラのライバルになり得ず
当時の若者は、クルマを購入するための財布の紐が緩かった。いいと思えば借金をするのは当たり前、男の60回ローンは勲章でもあった。クルマを買うために働く、というのは特に筆者の生まれ育った広島県などではごく普通。高校を卒業してすぐに高級車を買うということに違和感もなかった。
若者の憧れるクルマの最上位に君臨したのが初代&2代目ソアラだ。そして2代目レパードがデビューした当時は、白い4ドアハードトップが飛ぶように売れたハイソカーブームもまだまだ健在で、マークII、チェイサー、クレスタの3兄弟も大人気。さらにはデートカーの2代目プレリュードなどなど、異常なほど売れていた時代だ。
そんななかにあって2代目レパードは苦戦。2代目ソアラは日産が想定していた以上の進化を遂げていたのも日産にとっては誤算だったかもしれない。残念ながら、2代目レパードは2代目ソアラのライバルとは成り得なかった。
販売台数は2代目レパードが約4万台。それに対し2代目ソアラは14万台強と3倍以上。クルマの優劣と販売台数は関係ないとはいうものの、2代目レパードには2代目ソアラほどユーザーを引き付ける力がなかったのは明白な事実だ。
『あぶない刑事』でカルトな人気
2代目ソアラに対しまったく歯が立たなかった2代目レパードだが、ミーハーなソアラに対し、根強いファンは存在した。日産党だけでなく、あるきっかけで。それはテレビドラマの『あぶない刑事』(日本テレビ系列・1986年10月~1987年9月)。舘ひろし氏、柴田恭兵氏がW主演の刑事ドラマで、映画化されるなど今でも人気が高い作品。2024年5月には『帰ってきたあぶない刑事』が全国公開され、両氏とも齢70を超えるとは思えないほどの若々しさでファンを歓喜させた。
その『あぶデカ』にはいろいろな名車が登場するなか、一番人気はゴールドのボディカラーを纏った2代目レパードで、この影響で熱狂的なファンを多く生んだ。新車販売を爆上げするほどの効果はなかったが、あぶデカレパードは記憶に残る一台と言えるだろう。
あぶデカレパードのミニカーはプレ値がついているようだし、再放送であぶデカレパードを見て中古車で購入する人も多かった。2代目レパードは新車販売が終わった5年後くらいから中古車の人気が爆上がりしたクルマだが、中古相場の上昇に『あぶデカ』の影響は無視できない。
インフィニティブランドでも販売
日産は1989年から北米でインフィニティブランドを立ち上げ販売を開始したが、フラッグシップセダンのQ45とともに販売されたM30は2代目レパードだ。日産にとって2代目レパードの販売は苦戦を強いられ、いつ生産終了になってもおかしくない状況にも関わらず販売が続けられたのは、インフィニティの存在があったからとも言われている。そのインフィニティブランドでは日葡で販売されていないオープンモデルもラインナップしていた。
それから日本のクルマ史で最も一般の理解を超越したクルマとされるオーテックザガートステルビオ。1989年にオーテックジャパンが発売した超高額車のベースは2代目レパードだった。