×

気になるキーワードを入力してください

SNSで最新情報をチェック

1949年創業、荻窪「春木屋」の歴史

「春木屋郡山分店」のことを説明するためには、「春木屋荻窪本店」の歴史にふれる必要があります。「春木屋」創業者の今村五男さんは、1915年に長野県下伊那郡の川路という町で生まれました。戦前の話ですが、すでに東京の荻窪で「中国レストラン春木家」(2004年閉店)を経営していた兄(今村国治さん)を頼って上京します。ちなみに現在も運営している「春木家荻窪本店」も創業者・五男さんのご縁が続いています。

荻窪「春木屋」創業者の今村五男さん(故人)は1915年生まれ。長野県下伊那郡出身

終戦後の五男さんは、そば店をやろうと思ったようですが、設備投資のことや、当時、そば粉が手に入りづらかった事情もあり、1949年、現在の本店の場所に屋台を構えます。鍋釜さえあれば、ラーメン店はできるからということでした。その後、1954年には土地を購入、家屋を建て店舗を構えました。

時代とともに少しずつ味を変える「春木屋理論」

「春木屋」のお客さまのなかには、50年以上通い続けている常連さんや、親、子、孫と三代にわたってのファンがたくさんいるといいます。なぜ、そこまで支持されるのか。

東京・荻窪の「春木屋」は屋台から始まり、1954年に店を構えた

「最近あそこのお店、味、落ちたよな」「昔はおいしかったのにな……」こんな言葉をよく耳にすることがあります。しかし果たしてそれは本当に味が落ちたのでしょうか?この問いこそが「春木屋」が現在に至っても繁盛している理由なのです。先代・五男さんによると、「食糧事情がよくなるにつれ、お客さまの舌もおのずと肥えていくものです。同じ味を出し続けていれば、“味が落ちた”と言われるのは当然です。だからこそ、常日頃から味の研究を重ね、時代の変化とともに、ベースとなる味は変えずにお客さまにわからないように、少しずつ味を変えてきました。これを続けることによって、初めて、“いつも変わらなく、おいしいね”と言われるのです」

この言葉は誰が言ったのかはわかりませんが、「春木屋理論」として伝えれられ、多くのラーメン店がラーメン作りの理念に掲げています。過食も夜更かしもせず、朝食の前に口を清めて一杯のラーメンを食し、味の変化を見極めていたという“伝説の職人”らしいエピソードです。

次のページ
独立までには修業7~10年という弟子制度
icon-next-galary
icon-prev 1 2 3 4 5icon-next
関連記事
あなたにおすすめ

この記事のライター

おとなの週末Web編集部
おとなの週末Web編集部

おとなの週末Web編集部

おとなの自動車保険

最新刊

全店実食調査でお届けするグルメ情報誌『おとなの週末』。2025年8月16日発売の9月号では、東京で食…