橋の架け替え工事で発見された都電遺構
台風や集中豪雨といった水害に備えるため、2024(令和6)年7月からはじまった神田川の河川改修工事によって、「白鳥橋」は架け替えられることになった。現在、解体工事が進むこの橋は、何代目になるかはわからないが、1936(昭和11)年に架け替えられたものだ。この橋には、古くは1909(明治42)年から東京都電車=通称「都電」(当時は市電)が走っていた。
橋の解体工事をはじめたばかりの頃、橋上のアスファルト舗装をはがしたところ、「都電のレールと石畳」が出てきた。これは、1968(昭和43)年まで「白鳥橋」を渡って走っていた都電〔39系統〕の名残りで、廃線となった時に撤去されることなく、そのまま道路(アスファルト舗装)の下に埋められていたものだった。廃線から56年の時が過ぎ、人々の記憶からも消し去られていたものが突如、出現したのだ。
2024(令和6)年8月3日には、「白鳥橋お別れ会」が催されたが、この時点で橋上に都電遺構があることなど、誰ひとり想像もしていなかった。当の東京都も、当時を知る職員や記録が残されていないなど、知る由もなかったという。そうしたなかでの、思わぬ「お宝発見」となったわけだ。
同年10月には、この都電遺構の一般公開が行われ、大勢の老若男女でにぎわった。見学希望者が並ぶ長蛇の列は、ピーク時には安藤坂交差点まで伸びた。それだけ、人々の都電への関心の高さがうかがえるイベントだった。現地には、橋の設計図面や当時を回顧する橋上を走る都電の写真なども展示された。見学者は皆一様に線路を取り囲み、閉場時間になっても来場者が途切れることはなかった。


白鳥橋のいま
現在、解体工事は進み鋼鉄製の旧橋は、その五分の一がすでに解体されている。かろうじて、下流側の歩道だった部分がわずかに残るのみだ。その部分も来年には解体され、旧橋は完全に消失する。橋の周囲は、バリケードなどで隔離されており、容易に近づくことはできない。
橋上にあった都電遺構〔レールと石畳〕は、橋の解体前に取り除かれ、保存用としてその一部が自治体、博物館、大学、研究機関などの20か所に譲り渡したそうだ。東京都でも単体の部材として保存しているほか、教材としてタタミ1畳分程度の大きさのものを2点保有しており、都電に関係するイベントなどで不定期に公開しているという。
できることなら、ある程度のスケールで保存してもらえれば、往時をしのぶこともできたわけだが、実際に保存されたのは数十センチに切断されたレールと石畳をセットにした部材がほとんどで、少々残念でならない。贅沢をいえば、橋ごと移築してその上に当時の都電を展示してくれたら良かったのに、と思うばかりだ。
架け替え工事が終わり、新しい橋が完成するのは3年後となる2028(令和10)年3月の予定だという。どのような橋が架かるのか、楽しみに待ちたいところだ。










