マイクを通じた「おことば」
昭和天皇と香淳皇后は、1968(昭和43)年11月の皇居・新宮殿が完成以降は、毎年お出ましになられた。1988(昭和63)年の新年一般参賀では、前年(1987/昭和62年)のご入院・ご手術後であったにもかかわらず、昭和天皇は元気なお姿を国民の前に見せた。香淳皇后は、ひざのご病気などのためにお出ましにならなかった。
現在のように、マイクを通じて「おことば」を述べられるようになったのは、1981(昭和56)年の天皇誕生日の参賀からはじめられたものだった。昭和天皇は、崩御の前年まで「おことば」を発し続けられた。以来、マイクを通じた”天皇陛下のおことば”は、令和の今も引き継がれている。
1989(昭和64)年の新年一般参賀は、昭和天皇が闘病の末に重体となられていたため、中止となった。平成になってからの中止は、1989(平成2)年の昭和天皇の諒闇中(一般でいう喪中)の1回だけであった。令和では3回、2021(令和3)年と2022(令和4)年は新型コロナウイルス感染症対策のために、2024(令和6)年は能登半島地震に配慮され、中止となった。
宮殿東庭の下にあるものとは
2019(平成31)年の新年一般参賀は、当時の天皇陛下(現・上皇陛下)が生前退位を控えた平成の時代としては最後となる参賀とあって、開門からわずか45分で、2万人もの人々が皇居・長和殿ベランダ前の東庭に集まった。その時点で入門を待つ列は、皇居前広場に収容しきれずに日比谷通りまで続き、4万人を数えるという異常な事態となった。
多くの参賀者に対応するため、お出ましの回数は予定の5回から6回に増やし、それでも並ぶ人々の列は途切れず、最終的には7回のお出ましとなった。結果、この日の参賀に訪れた人々は15万4800人を数えた。
カメラマン泣かせといえば、毎年のことなのであるが、人々の熱気というのはすごいもので、その人々の頭上には陽炎(かげろう)というか、炎のような揺らめきが立ち上がるのだ。これが原因で、カメラのピントが合わないことに悩まされるのは毎年の常。このため、陽炎の影響が出にくい1回目のお出ましに、カメラマン達は勝負をかけるのだ。
さて、参賀に集まった人々がいる宮殿東庭(きゅうでん・とうてい)の下には、何があるのかご存じだろうか。答えは「駐車場」。宮殿を訪れる賓客が乗ってきたクルマを留め置く場所になっているのだ。地下空間を支える東庭には、当然ながら荷重制限がある。このため、一度の参賀では2万人の収容が限界だという。2019(平成31)年の新年一般参賀では、この限界数値ギリギリの人々を収容したわけだ。




