初代キューブの走りはどうなのか?
基本的に新型車がデビューすると、その直後にメーカー主催のマスコミ向けの試乗会が開催される。これは日産だけでなくどのメーカーも同じ。試乗した自動車評論家の初代キューブの走りの評価はお世辞にも高評価というわけではなかった。サスペンションはフロントがストラット、リアが5リンク、ブレーキはフロントがディスク、リアがドラムというのはベースとなった2代目マーチと同じ。しかし全高が高い初代キューブではキャパシティ不足を指摘する意見もあった。
最大のネガとして指摘されていたのがトランスミッションで、初期のN・CVTはCVTのベルトが滑る感じが強く、アクセルを踏み込んだ時に一歩遅れて加速するもどかしさがありダイレクト感に欠けていた。実は初代キューブは筆者が当時所属していた自動車雑誌『ベストカー』の社用車として使っていたから、その滑り感は常々感じていた。
走りに関しての評価は高くなかった初代キューブだったが、パッケージング、室内の快適性についての評価は高かった。
東京モーターショーでライバルが同時に公開
前述のとおり、初代キューブは1997年の東京モーターショーで初公開されたが、強力なライバルが同時に公開されていたのだ。そのライバルとは初代キューブから2カ月遅れでデビューしたホンダキャパで、コンセプトは初代キューブと同じコンパクトカークラスのハイトワゴンだ。
シンプルな初代キューブとは対照的に凝ったデザインを採用したキャパ。ホンダらしい都会的な雰囲気を纏っていていかにも売れそうなオーラを発していた。東京モーターショーでの一般の注目度も初代キューブよりキャパのほうが高かった。日産、ホンダともコアなファンが存在するが、当時は「ホンダが出す〇〇」というフレーズは非常にイメージがよかったのだ。〇〇にはSUV、ミニバン、コンパクトカーなどなんでも当てはまる。そして自動車評論家、自動車雑誌の評価も圧倒的にキャパのほうが高かった。
「発売前からキャパが圧勝する」というのが大半のイメージだった。
5年間で約40万台を販売
日産の意気込みとは裏腹にプロからの評価が低く出鼻をくじかれた感じになってしまった初代キューブ。日産の公表した月販目標は7000台。これに対し目標台数が多すぎだろうという声も聞かれたが、ふたを開けてみると状況は一変。
初公開から約3カ月後の1998年2月にデビューするや否やオーダーが殺到。受注はデビュー後1週間で1万台、18日間で2万台、1カ月で3万台をマークし、日産はその都度リリースを出した。まさに倍々ゲーム状態で当時の日産の屋台骨だった2代目マーチの販売を瞬く間に凌駕。
初代キューブは、今は亡き日産村山工場(東京都・武蔵村山市)で生産していたが、生産体制を見直しして増産。村山工場の多忙ぶりがニュースネタになったほど。その結果、1月の生産開始から10カ月で累計10万台生産という信じられない数字をマークするに至った。この数字は歴代日産社では初代マーチに次ぐものだったという。
そして初代キューブは1998年2月から2002年10月までの約4年半で累計約40万台を販売する大ヒットモデルとなったのだ。







