デパートの3階に”地下鉄”のりば
1934(昭和9)年になると、東横線渋谷駅と一体を成す建物=東横百貨店(→のちの東急百貨店東横店東館→2020〔令和2〕年閉店)が開業し、駅に直結したデパートという新しい業態が渋谷の地に誕生した。このような商業スタイルは、阪急電鉄の創業者である小林一三氏のアイデアといわれ、東京では1931(昭和6)年に開業した東武鉄道・浅草雷門(現・浅草)駅のターミナルデパート「松屋浅草」が最初だった。
1938(昭和13)年になると、渋谷駅には東京高速鉄道(→のちの東京メトロ)銀座線の駅を取り込むように建設した「玉電ビル」が開業する。地下鉄がビルの3階から発着するその姿は、今でこそ当たり前になってしまったが、当時としてはわざわざ見に来る人がいたほどだった。その翌年(1939)には、玉電渋谷駅も玉電ビルの2階に移転した。こうした背景には、当時の地下鉄銀座線と玉電は、のちに東急グループ総帥となる五島慶太氏の息のかかった会社であったこともあり、同じビル内に複合的な駅を建設することができたのだ。
玉電ビルは当初、地上7階、地下2階として計画されたが、当時の日華事変の拡大による鉄鋼統制令などの規制を受け、工事は4階までで打ち切られた。東横線渋谷駅と一体を成していた東横百貨店旧館も、1945(昭和20)年5月に空襲被害を受けて全焼した。その後は、1954(昭和29)年に玉電ビルの名称を「東急会館」と改め、これら一帯のビルを増改築して、地上12階、地下2階建ての延床面積約4万7336平方メートル(1万4319坪)を誇る、渋谷駅の一大複合ターミナルビルへと生まれ変わった。




