渋谷駅東口のシンボルだった東急文化会館と都電
プラネタリウムが屋上にあった複合文化施設だった東急文化会館。地上8階、地下1階の館内には、渋谷パンテオンや渋谷東急(東急名画座)など4つの映画館のほか、資生堂美容室、レストラン、ゴールデンホール(結婚式場)、書店、東急ストアなどを展開していた。思い起こせば、中学校の課外授業で映画を見に行ったのも東急文化会館で、その後も国鉄渋谷駅で学生助勤をしていたときには、夕飯づくりの食材調達で地下にあった東急ストアにはよく通ったものだった。レジのアルバイトの子に恋焦がれたことなど、今となっては懐かしい想い出だ。
東急文化会館が開業したのは1956(昭和31)年のことで、閉館となる2003(平成15)年までの47年間、渋谷駅東口のシンボルだったこのビルも、姿を消して早いもので23年が経過した。2012(平成24)年には、その跡地に「渋谷ヒカリエ」が誕生し、今では東口のシンボル的存在になっている。東急文化会館が開業したころの東口は、都電の停留場と明治通り、バスのりばが混在しており、歩行者の動線確保のため東横線の渋谷駅と東急文化会館との間は、大型の連絡橋で結ばれていた。今もその場所には、新しくなった連絡橋が架かっている。
もうひとつの東口のシンボルだった都電も、1968(昭和43)年から1969(昭和44)年の間に廃止され、姿を消してから58年もの歳月が経過している。廃止後、都電の停留所跡地は都営バスのりばとして活用され、都電のりばの雰囲気が残っていた。しかし今では、明治通りの整備とともにバスのりばの位置も移転し、ここに都電が走っていたことなど、知る人も少なくなったことだろう。
かつて、渋谷駅と東急文化会館を結んでいた連絡橋の下には、横断歩道が設置されていた。幼少のころ、この横断歩道のところでハトのエサを5円か10円で売っていて、ハトに餌やりをしたことを覚えている。今となっては、その横断歩道もなくなってしまった。昭和の渋谷駅東口の面影は、東横線渋谷駅のホーム跡をわずかに残すだけになっている。

文・写真/工藤直通
くどう・なおみち。日本地方新聞協会特派写真記者。1970年、東京都生まれ。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物に関連した取材を重ねる。交通史、鉄道技術、歴史的建造物に造詣が深い。元・日本鉄道電気技術協会技術主幹、芝浦工業大学公開講座外部講師、日本写真家協会正会員、NPS会員、鉄道友の会会員。







