渋谷駅。その名のとおり「谷」に設けられた駅は、道玄坂と宮益坂に挟まれた“すり鉢状”の地形に位置するターミナル駅だ。1960年代の渋谷駅といえば、山手線、銀座線、東横線、井の頭線、玉電、都電の6路線が乗り入れていた。その後、都電と玉電が廃止されたが、いまでは新玉川線(現・田園都市線)、半蔵門線、埼京線、副都心線が加わり、知らない人はいないであろう“若者の街”を代表するターミナル駅にまで発展した。そんな渋谷駅が、いまよりもずっと静かだった1950~60年代に写した記録写真から、往時を振り返ることにしたい。
※トップ画像は、渋谷駅東口にあった都電のりば。都電廃止後は長らくバスのりばとして使用されていた。右に写る東急文化会館も今は“渋谷ヒカリエ”に建て替わっている=1967年12月9日、渋谷区渋谷、撮影/沢柳健一
開業は141年前の1885(明治18)年
子どものころ、旧・玉電沿線で育ったこともあり、母親に連れ立って買い物に出かける街といえば渋谷だった。そのときの楽しみといえば、東急百貨店東横店のおもちゃ売り場を見て回り、「東横お好み食堂」の“お子様ランチ”を食べて、屋上にあった小さな遊園地で遊ぶ。そんな思い出の残るターミナルデパートを備えた渋谷駅の歴史に興味をいだいたのは、だいぶあとのことだった。
JR山手線の前身となる私鉄「日本鉄道」が開業したのは、1885(明治18)年のこと。当時の山手線は単線で、駅周辺には何もなく、単なる田舎駅に過ぎなかったという。1906(明治39)年に日本鉄道は国有化され、1909(明治42)年に「山手線」という路線名が制定された。この間には、二子玉川と渋谷を結ぶ玉川電気鉄道(玉電→のちの新玉川線、現・田園都市線)が開業し、1911(明治44)年になると東京市電(→のちの都電)も開業するなど、山手線南西部のターミナル駅として頭角を現し始めた時期でもあった。
このころの山手線渋谷駅は、現在地よりも恵比寿駅寄り(新南改札のあたり)に位置し、線路も高架ではなく地上を走っていた。宮益坂に向かう道路をくぐる山手線のガードの場所には、宮益坂踏切という名の踏切があったという。その後、線路が高架化されたのは1920(大正9)年のことで、このときに駅の場所も現在地に移転した。時代が昭和に入ると、1927(昭和2)年に東京横浜電鉄(→のちの東急)東横線が、1933(昭和8)年には帝都電鉄・渋谷線(→のちの京王・井の頭線)が開業した。








