SNSで最新情報をチェック

8月半ばを過ぎ、セミの声に秋の虫の声が混じる頃になると、世界のワイン産地からブドウの収穫がスタートしたという知らせが届き始める。ワイン用のブドウの収穫時期は、地域やブドウ品種、造られるワインのスタイルによって、8月初旬から11月の前半までと大きな幅があるが、最近の世界的な傾向として言えることは、温暖化の影響で、年々その時期が早まっているということだ。「過去20年間で、収穫開始が2〜3週間早まった」というような言葉を、北半球でも南半球でもよく耳にする。

消費者の好みに変化 アルコール度「高め」から「低め」に

そこには、消費者に好まれるワインのスタイルが変化してきたという事情もある。かつて、アルコール度が高く、果実味が「爆弾」に喩えられるほど際立ったワインがもてはやされ、「ジャミー(ジャムのよう)」という表現がポジティブに評価された時代があった

それがここ10数年の間に市場の嗜好が「いきいき感」「きれいな酸」「アルコール度が低めでスイスイ飲める」という方向に急激にシフトしているのだ。その変化に対応するためには、ブドウの過熟は大敵。酸を強調するためにも早めに摘み取ろうということになる。そして、そこに温暖化が拍車をかけているというわけだ。

サントリー、登美の丘ワイナリーの貯蔵庫

「2℃上昇」で「ワイン産地が半減」の衝撃

日本国内のワイン産地も温暖化の深刻な影響にさらされている。気象庁のデータによると、山梨県甲府市の年間の平均気温は、この100年の間に約2℃上昇した。この「2℃上昇」ということに関して米コロンビア大学の専門家らが「世界の平均気温が2℃上昇すると、現在のワイン生産地が半減する可能性がある」との研究結果を出したことがある。いかに深刻な数字であるかがわかるだろう。

温暖化が日本のワインに与える悪影響は、
・色味が薄くなる
・酸が足りなくなる
・香味成分が乗らず、単調な味わいになる

というもの。

おいしいワインを造るための良いブドウを得るには、果実が成熟する期間に昼夜の温度差があることが望ましい。甲府盆地や長野の高地などにブドウ畑が広がるのは、そこが夏場でも夜にはある程度気温が下がるという利点があるからだ。しかし、それらの地域でも温暖化の影響は免れず、先述の悪影響が生産者を悩ませている。

サントリーと山梨大が画期的な試み

この問題に対する画期的な解決策についてのニュースが舞い込んできたのは今年の7月下旬のことだった。

〈ワイン用ブドウ、成熟期遅らせ収量確保 サントリーと山梨大〉
という見出しで始まる日刊工業新聞(7月20日掲載)の記事の内容をかいつまんで述べると以下のようになる。

サントリーホールディングスと山梨大学は共同でワイン用ブドウの成熟期を遅らせる試みを行なっている。これは、通常の栽培で果実を実らせるブドウの主枝(新梢)を開花前に剪定し、その後に遅れて伸びてくる芽(副梢)を生かすことで果実の成熟期を1カ月から1カ月半遅らせようというものである──

記事を読みながら僕は木槌で頭を打たれるような衝撃を食らった。その手があったか!

富士山を遠望する登美の丘ワイナリーのブドウ畑

冒頭に述べたように、世界のワイン産地で行われている温暖化対策は「収穫時期を早めること」である(他にも、栽培品種を高温に適応するものに変えたり、より標高が高く冷涼な土地や日照の乏しい北向き斜面(北半球の場合)を選んで畑を開いたりする動きがある)。逆にブドウの結実・成熟・収穫を遅くするなど聞いたことがなかった。

「鳥の取り分」が、主役の座になる日

さらに調べてみると、この「副梢栽培」という斬新な栽培法の考案者は山梨大学ワイン科学研究センターの岸本宗和准教授であること、サントリーを含む4つの生産者がこの実証研究に参加していることがわかった。

4社のうちの1つ、勝沼のMGVs(マグヴィス)当主の松坂浩志さんに話を聞いた

「岸本先生の研究と出合ったのは2017年の秋でした。試験栽培された副梢栽培のマスカットベーリーAのブドウを食べさせてもらいましたが、果粒が小粒で、味が濃いという印象を受けました」

ブドウ栽培農家出身の松坂さんは、試食してすぐに「ああ、これはいわゆる“2番なり”のブドウだな」とピンと来たと言う。晩秋、収穫の終わったブドウ畑に行くと、副梢に実った小さな房が取り残されている風景に出会う。栽培農家の人たちはこれを「鳥の取り分」と呼ぶのだそうだ。この“2番なり”を主役の座に引き上げようとするのが副梢栽培なのだ

メルローの畑。奥の色づいたブドウは通常栽培、手前のまだ黄緑色のブドウは副梢栽培のもの。前者は10月前半に収穫されるのに対し、後者の収穫は11月になるという

副梢栽培のワインに驚嘆 「こんなに濃くて、酸の残るマスカットベーリーAが…」

MGVsでは2018年から畑の一部で副梢栽培に取り組み、その年の秋には初めての収穫を得た。

「せっかく新梢が出て、まもなく花が咲こうかというときに、それをバッサリとカットするというのですから最初は正直戸惑いました」と松坂さん。

しかし、副梢に実ったブドウを醸してみると、色は濃く、酸がしっかりとしていて、深みのあるワインになった

「マスカットベーリーAはフラネオールという成分によるイチゴ香が特徴とされますが、副梢栽培の実で造ったワインは、これにカシスやブルーベリーといった青・黒系果実の風味が加わり、香りが複雑みを増します」

今年2月、とある勉強会で、参加者に副梢栽培のワインを飲んでみてもらったところ、山形県から来た生産者が「山梨でこんなに濃くて、酸の残るマスカットベーリーAができるんですね」と驚嘆していたという

MGVsの松坂浩志さんとワイナリードッグのルイス君

赤ワインの色味が濃くなるということは、果皮から抽出される香味成分やタンニンが増えた証拠である。これに酸(腐敗を防止する働きがある)が加わることで、ワインは長期熟成のポテンシャルを獲得する。

マスカットベーリーAはジャパン・オリジナルの品種の一つだが、従来は熟成向きではないと言われてきた。副梢栽培が成功すれば、近い将来、この品種から世界を驚嘆させる長熟タイプのワインが生まれることになるかもしれない

右が副梢栽培、左が通常栽培によるマスカットベーリーAのワイン。濃さの違いがよくわかる

サントリーも登美の丘ワイナリーで副梢栽培に挑戦

MGVsのセラーでは2018年の副梢栽培のワインが樽熟の眠りについている。2年目の19年は病害に冒されて副梢栽培部分は惨敗。副梢栽培の場合、開花期が梅雨と重なるなど通常栽培とは別のリスクがあり、コントロールが難しいという

それでも、20年の収穫にはようやく副梢栽培の特徴が出てきたと松坂さんは自信を覗かせる。2018、2020は商品化される予定だが、生産量が少ないので、販路は限られたものになるだろうとのこと。

後発のサントリーでも登美の丘ワイナリー(山梨県甲斐市)で栽培しているメルローのうち約500本の樹で副梢栽培に挑戦中で、今後は他の品種にも対象を広げ、ゆくゆくは商品化を目指すとのこと

これまでとは全く異なるアプローチで栽培され、成熟した果実によるワイン。試してみたくてうずうずする。そして、この日本発の新発想が、世界の他の産地にも好影響を与えるとしたら、それはそれで誇らしいことだ

ワインの海は深く広い‥‥。

※写真提供/サントリーワインインターナショナル株式会社、 MGVsワイナリー

リリースが待たれる副梢栽培によるワイン(CG画像)

浮田泰幸

うきた・やすゆき。ワイン・ジャーナリスト/ライター。広く国内外を取材し、雑誌・新聞・ウェブサイト等に寄稿。これまでに訪問したワイナリーは600軒以上に及ぶ。世界のワイン産地の魅力を多角的に紹介するトーク・イベント「wine&trip」を主催。著書に『憧れのボルドーへ』(AERA Mook)等がある。

※写真や情報は当時の内容ですので、最新の情報とは異なる可能性があります。必ず事前にご確認の上ご利用ください。

関連記事
あなたにおすすめ

関連キーワード

この記事のライター

浮田泰幸
浮田泰幸

浮田泰幸

最新刊

全店実食調査でお届けするグルメ情報誌「おとなの週末」。4月15日発売の5月号では、銀座の奥にあり、銀…