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東京の下町・門前仲町の『すし三ツ木』店主・三ツ木新吉さんは、2022年で74歳。中学入学と同時に稼業の寿司屋を手伝い始め、板前稼業もかれこれ60年。日本が大阪万国博覧会で沸いていた昭和45(1970)年に、深川不動尊の参道に開店した店は52周年を迎える。昭和の名店と謳われた京橋与志乃の吉祥寺店で厳しく仕込まれた腕は確かだが、親父さんのモットーは気取らないことと下町値段の明朗会計。昔ながらの江戸弁の洒脱な会話が楽しみで店を訪れる常連も多い。そんな親父さんが、寿司の歴史、昭和の板前修業のあれこれから、ネタの旬など、江戸前寿司の楽しみ方を縦横無尽に語りつくします。 第13回は、板前の命ともいえる包丁に因んだあれこれを。絆創膏がなかった時代の、ちょっと驚く指のケガの対処法、そして、砥石に関わる意外な技(?)を……。

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「経木、指サック、絆創膏」

指のケガの治療、今昔

包丁について、続きを少しだけさせてもらいます。

包丁を扱う板前にとって指のケガは避けて通れないもの。私もこれまで何百回となく指を切りました。

私の若い時分など、指を切ろうものなら親方に「バカヤロウ! 塩で揉んで酢で締めとけ!」なんて怒鳴られたものです。

そもそも板前が指を切るのは怠け者だからと思われていた時代。「指を切りました」なんて言うと、「仕事がしたくないのか?」って睨(にら)まれるのがオチです。

とはいえ時代は変わりました。さすがに怠けたいから指を切る奴はいないとは思いますが、少なくとも注意散漫であるのは間違いありません。

今の若いもんはハナから考え方が違います。「痛いから仕事ができません」と悪びれたところがないのだからカチンときます。私の若い頃にそんなことを言おうものなら、確実に張り倒されていたでしょう。

当時、私たちは指を切ったら経木の紐で縛り上げて血を止めていました。経木というのは、スギやヒノキを紙のように薄く削ったものです。紐状に細長くしたものは駅弁の箱を縛るのに使ったりしていました。これできつく縛れば血は止まるのですが、水に濡れると沁みて痛いし、治りも遅かったんですね。そこで登場したのが指サック。これは重宝しましたね。

でもねえ、絆創膏には敵いませんでした。いまではありとあらゆるタイプの種類が売り出されていますから便利なことこの上ありません。私らの商売にとって、欠かせないのは絆創膏なんですね。

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砥石を平らにする意外な方法とは!?...
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おとなの週末Web編集部 今井
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