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東京の下町・門前仲町の『すし三ツ木』店主・三ツ木新吉さんは、2022年で74歳。中学入学と同時に稼業の寿司屋を手伝い始め、板前稼業もかれこれ60年。日本が大阪万国博覧会で沸いていた昭和45(1970)年に、深川不動尊の参道に開店した店は52周年を迎える。昭和の名店と謳われた京橋与志乃の吉祥寺店で厳しく仕込まれた腕は確かだが、親父さんのモットーは気取らないことと下町値段の明朗会計。昔ながらの江戸弁の洒脱な会話が楽しみで店を訪れる常連も多い。そんな親父さんが、寿司の歴史、昭和の板前修業のあれこれから、ネタの旬など、江戸前寿司の楽しみ方を縦横無尽に語りつくします。 第14回は、板前さんの修業について。小学生の頃、寿司屋の小僧から修業をスタートした親父さんは、昭和の先達たちから何を学んできたのか。

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「見て習うから『見習い』」

すたれていく日本の職人技

私が修業を始めてからはや半世紀以上。世の中も大きく変わりました。

当時、高度成長期の日本は先進国に追いつけ追い越せで、安くていいものを作って輸出することで豊かになってきた。ところが今は、豊かになった分、人件費が高いというので、他所の国に工場を持っていっちゃった。そうなると、日本国内では、働き盛りなのにリストラでクビはとぶは、若い人は正社員になれず派遣の仕事しかないはで、世の中暗くなっていくばかり。そんななかで、経済成長を下から支えてきた町工場がどんどん潰れているようですが、こんなこっちゃあ、世界に冠たる日本の技術、職人技がすたれていってしまいます。

実は、寿司職人の世界も似たような塩梅になってきています。板前は、仕入れ、仕込みから、お客さんの前で握るところまで、全部一人でやれるようになるために修業するわけです。そうなって初めて一人前、自分の店も切り盛りできるようになる。ところが、今はやりのチェーン店では分業制をとっていて、お客さんの前で握るのは、駆け出しでも若くてかっこいい職人にやらせて、仕込みはベテランの年寄りにやらせている。これで10年経ったときにどうなるか。仕込みもできないような職人は、どこの店でも使ってもらえないし、ましてや自分の店なんてやれるはずもないんですがね。

盗んだ技は身体への染み込み方が違う

昔は「修業十年」と言われて、私が始めた頃は、どこの店にも若い衆が2、3人はおりました。先輩たちがいれば、新人は掃除、洗い場、出前ばかり。下っ端の見習いに手取り足取り教えるような優しい親方は皆無といってよかった。見習いというのは、読んで字のごとしで「見て習うもの」。するべき仕事をきっちりこなしつつ、親方の姿を目で追い、その仕事を盗み取るものと相場が決まっておりました。

「おい、これやってみろ」

一度も教わってないことを突然やらされるのは板場の流儀ってもので、四の五の言わずにサッとできればよし、できなければ「はい、どいて」でおしまいという世界です。説明なんて一切ありませんから、どこが悪かったのかなんてこっちにはわかるはずもございません。ようするに、見て覚えろってことなんです。

昔のプロ野球は厳しい世界だったようで、新人投手が先輩に変化球の投げ方を教わりにいったら、親指と人差し指で丸を作って「いくら出すんだ?」と聞かれたそうです。それで、新人は先輩がブルペンで投げるのをこっそり盗み見て必死に研究したといいます。全員が個人営業主のようなプロ野球と寿司屋の修業とはずいぶん違うと思いますが、どうしても身につけたい技があったら、言葉は悪いですが、盗むというのも大事なことです。手取り足取り教えてもらうのとは身体への染み込み方が違います。

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昔の親方はあきらめなかった...
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おとなの週末Web編集部 今井
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