長野県の「戸隠そば」、岩手県の「わんこそば」と並び、日本3大そばのひとつに数えられる島根県の「出雲そば」。実際に食べたことがないという人でもその存在は知っているはず。でも「出雲そば」が、出雲市ではなく、松江市発祥のものだということは、あまりご存じないのでは? なーんて偉そうに書いている筆者も今回初めて知りました。
そもそも「出雲そば」ってナニ?
というか、「出雲そば」ってナニ? という方もいらっしゃるかと。今回はその「出雲そば」の真髄に迫るべく、というか迫るためだけに松江に飛びました。まずは、松江そば組合副組合長の景山直観さんのところに出向き、教えを乞うことに致しましょう。
そもそも「出雲そば」の歴史は、徳川家康の孫として生まれ、1638年に信濃松本藩7万石から転封(てんぽう)、松江藩18万6000石の松平家初代藩主となった松平直政公の時代にさかのぼります。
当時の信濃においてすでにそばは一般的な食べ物で、直政公が松江藩に移った際にそば打ちも伝わったとされています。
島根県エリアにおいて発見された、そばの記述は、現在のところ、1666年に出雲大社神職が書いた「江戸参府之節日記」が最古のもの。そこには松江の寺社奉行宅でそば切(そばを切って麺状にしたもの)が振る舞われたことが書かれていて、「つまり出雲そばは松江城下から伝わったものなのです」と景山さんは胸を張ります。
ただ、名称については、松江を含む出雲地方の名物として認識され、「出雲そば」と呼ばれるようになったのでしょう。
2015年に国宝に指定された「松江城」は言わずもがな、松江市のシンボル。全国で現存する12天守の中のひとつでもあります。松江城に隣接する、現在の松江歴史館があるあたりは、直政公の時代は身分の高い人たちが住居を構えていた地域。そのあたりの地質を調べたところ、当時からそばを育てていたこともわかりました。
そんなわけで、県外の多くの人が、「『出雲そば=出雲市発祥の名産品』と認識されていることについては、忸怩たる思いがあります(笑)」と景山さん。
「近年、松江市では、在来種のそば粉、伝統の打ち方、出汁のとり方、そば椀にもこだわりその知名度に磨きをかけた『松江松平そば』に力を入れています」と力を込めます。