×

気になるキーワードを入力してください

SNSで最新情報をチェック

紅葉の名所として知られる栃木県の日光国立公園にある中禅寺湖。最寄りの日光駅までは、東武特急で東京の浅草駅から2時間弱で到着する。日光市内からは、路線バスやクルマで「いろは坂」を経由して行くのが一般的だ。しかし、1960年代まで日光駅から中禅寺湖畔へは、東武鉄道が運営する路面電車、ケーブルカー、ロープウェイと乗り継ぐ、全長約12kmの観光路線網が存在した。現在は、その一部区間となる明智平(あけちだいら)ロープウェイが営業するのみだが、今でこそ存在していたら人気の観光ルートになっていたに違いない。わずか8年間という短命に終わった観光路線網の歴史を振り返ることにしたい。

※トップ画像は、第ニいろは坂(国道120号線)の途中2箇所にある駐車場のひとつ「明智平」にあるケーブルカー遺構(日光鋼索鉄道線)明智平駅跡=2019年11月18日、日光市細尾町

icon-gallery

日本の道・百選「日光いろは坂」

いろは坂の歴史は大正時代にはじまる。当初は人の往来を目的として現在の第一いろは坂にあたる道が整備された。自動車や乗合バスの通行ができるようになったのは、1925(大正14)年になってからのことだが、できた当初は時間帯を区切って上りと下りを交互に通行させていた。現在の“上り専用”の第ニいろは坂と、“下り専用”の第一いろは坂は、最初に第一いろは坂が1954(昭和29)年に完成し、日本の制度化された有料道路の2例目(1例目は三重県の参宮有料道路)として開通したものだった。

その後、1960(昭和40)年に第二いろは坂が完成し、この時に上り方向と下り方向が分離され、第一と第ニの名称が付けられた。そもそも、いろは坂の“いろは”とは、初期のいろは坂に48か所のカーブがあったことから、“いろは順”の1〔い〕~48〔ん〕になぞらえたことに由来する。現在では、第ニいろは坂に「い~ね」が、第一いろは坂には「な~ん」が、それぞれの坂にあるカーブに表記されている。

1954(昭和29)年~1984(昭和59)年9月30日までは有料道路であったが、現在(1984年10月1日以降)は無料開放されている。1987(昭和62)年に、「48のカーブ」が特色ある優れた道路であるとして日本の道・百選に選ばれた。過去、明智平ロープウェイ駐車場から終点の中禅寺湖畔までの間は、対面通行(中禅寺湖側からも通行できた)であったが、2019(令和元)年10月1日からは麓側(馬返)からの一方通行になっている。

第ニいろは坂(上り)には、駐車場を兼ねた展望台が2箇所あり、黒髪平と明智平がある。黒髪平の“黒髪”とは、日光国立公園に属す「男体山」のことで、古くは松尾芭蕉の“奥の細道”に「黒髪山は霞かかりて雪いまだ白し」と記される。いっぽうの明智平は、後述するケーブルカーの終点駅があった場所だ。

第ニいろは坂(上り)の黒髪平展望台にある「日本の道・百選『日光いろは坂』」の碑=2019年11月18日、日光市細尾町
第ニいろは坂(上り)の黒髪平展望台からの眺め=2019年11月18日、日光市細尾町
次のページ
日光駅から中禅寺湖畔まで整備された観光路線網
icon-next-galary
1 2 3 4icon-next
関連記事
あなたにおすすめ

関連キーワード

この記事のライター

工藤直通
工藤直通

工藤直通

おとなの自動車保険

最新刊

全店実食調査でお届けするグルメ情報誌『おとなの週末』。2025年10月15日発売の11月号では、「頬…