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戦後の焼け野原から渋谷が息を吹き返し始めた頃、街には、感度の高い人々が集まってきた。

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時代とともに流行を 生み、いまだ進化中

戦後の焼け野原から渋谷が息を吹き返し始めた頃、街には、感度の高い人々が集まってきた。
 駅前に、当時まだ珍しかったコーヒー専門店『珈琲店トップ渋谷駅前店』ができたのは、昭和27年。

渋谷のド真ん中に、昭和の喫茶文化が息づく

写真:「オイスタートースト」は、広島産の燻製牡蠣と辛子マヨネーズのバランスの妙が光る。コロンビアベースにグァテマラなどをブレンドした、「トップMIX5」

スクランブル交差点が誕生する20年も前から駅前で営業している「珈琲店トップ渋谷駅前店」。東京五輪を機に現在のビルが建てられ、地下に移った。サイフォンで淹れるコーヒー、銅製のポットなど、昭和から変わらぬ姿で歴史を重ねる。輸入品の缶詰を使った独創的なトーストも健在だ。 ※ランチタイム有

輸入食品を扱う会社が手がけた店で、サイフォンで淹れるコーヒーとともに、輸入品の缶詰を使った独創的なトーストが話題になった。今も店は駅前に健在、メニューは当時からほとんど変わっていない。
 昭和28年創業の『壁の穴』が新橋から渋谷に移ってきたのは、昭和38年のこと。

たらこスパゲッティ 発祥の店はココ!

写真:たらこ いかしそ。生たらこをほぐし、バターと昆布粉とともにやや太めの麺に和える

創業当時、日本のパスタは炒めが主流で、茹で上げは馴染みがなかった。これに挑戦したのが「壁の穴 渋谷本店 (カベノアナ)」の創業者。今や定番の「たらスパ」を生み出したのもこの店だ。[交]渋谷駅 徒歩5分 ※ランチタイム有

創業者の成松孝安さんは、CIA 極東長官・ブルームス氏の執事をしていた人物。
「ブルームスから退職金代わりにもらった」のが、店だった。そして、茹で上げパスタを日本でいち早く広め、この地で和風パスタというジャンルを確立していく。

こうして流行発信地としての礎を築く一方、井の頭線のガード下には、戦後の闇市から生まれた飲食店街が残され、異なる熱気を帯びていた。
渋谷マークシティの登場で景色はすっかり変わったが、そのお膝元には、今なお昭和風情の焼き鳥屋が数多く残る。
『鳥升』、『森本』、そして昭和22年創業の『山家』。
山家は渋谷でどこよりも早く24時間営業を始めた店だ。

昭和の大衆居酒屋の 雰囲気と価格

写真:薄くカリッと揚げたハムカツ

山家支店は先代の母が乾物屋の店先で焼き鳥を出したのが始まり。以来、炭火焼き鳥メインの大衆酒場として本店と支店を構え、街の変貌を見てきた。[交]JR山手線・埼京線 渋谷駅から徒歩3分 ※ランチタイム有

 渋谷駅西口から国道246号線を越えると、どこか落ち着いた雰囲気が漂う。
桜丘町は渋谷の中でも昔ながらの風景を保つエリアだ。246号線沿いのビルの地下で、昭和42年から営業を続けるのが、『三漁洞』。

桜丘町の地下でひっそり歴史を刻む名店

写真:ぶりと大根の炊き合わせ」 1,296円

「三漁洞 (さんぎょどう)」は元クレージーキャッツの石橋エータローさんと、その父・福田蘭堂さんの釣り好きが高じて開いた店。食通の客に愛されている。 [交]JR山手線・埼京線渋谷駅南口 徒歩2分

「うちが店を出した頃には、まだ246号線に歩道橋はなかったんですよ」
 と、女将の石橋光子さんは話す。東京五輪を機に246号線が整備されて以来、渋谷駅との通行は分断され、それゆえに桜丘町は今日まで昭和の面影を色濃く残すこととなった。
 しかし、ついに2017年から大々的な再開発が始まる予定だ。高層タワーが建ち、駅改札から国道246号線を渡ることができるデッキも架けられる。
 4~5年のうちに、渋谷は人の流れも空気も一気に変わるだろう。しかし、歩けば色あせない昭和の薫りが残っていることに気づくはず。これから先、どんな表情を見せてくれるのか、その歴史はまだまだ続いていく。

※写真や情報は当時の内容ですので、最新の情報とは異なる可能性があります。必ず事前にご確認の上ご利用ください。

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