竹下登元首相の車に突進!
晩年、本人もSNS上でのプロフィールの中で紹介していた自らが偶然写された写真も、田中角栄邸に入ろうとしたものの門前払いを食わされ引き下がろうとしていた竹下登元首相の車に襲いかかるシーンであった。それは竹下氏の乗った高級車にカメラを手にして一番近づいているのが小原氏、そのすぐ後が当時フライデーのライバル誌フォーカスのKカメラマン、そのさらに後ろでもたついているのがまだ髪の黒い私である。
当時は写真週刊誌乱立時代、カメラマンは事件事故、芸能、社会問題、政治にスポーツまでジャンルを問わず現場に駆り出された。張り込みに突撃取材に潜入と今となってはとてもできぬ無茶もやってきた。
ペン一本でメシ食える有名ジャーナリストやお上品な新聞社の社カメとちがい、翌週にはクレジット入りの同じ現場の写真が各誌に載り、その優劣が判断されるという毎週生存競争を勝ちつづけなければならなかったのである。
ライカのカスタムカメラに驚く
そんなシュラ場をいくつも踏むうちに、我々は技術を磨き、腕もあげていった。なかでも隠し撮り用のカスタムカメラを各カメラマンは知恵を絞り開発、自作していた。そのほとんどがオリンパスOMシリーズの小型一眼レフカメラや廉価な自動巻き上げ式のコンパクトカメラをベースにしたが、小原氏は何とライカにモータードライブをはかせ、メカニカルレリーズをつなげたのを作りあげた。
「(一眼レフと違い)音がしないんだよ、これ」と胸を張る彼に「これいくらかかったんだ?」と我々は目を白黒させた。
年頭に届いたズミクロンはその時のカバンカメラに付けられたレンズ…のわけじゃあるまい。
二人はそんなフライデー時代にほぼ同じ時期に最初の結婚式を挙げる。その後もこれまたほぼ同じ時期にフライデーから足を洗った。
【不肖・宮嶋、 動物写真家・小原玲さんを悼む(後編)に続く】
※小原さんは『シマエナガちゃん』シリーズ(講談社ビーシー)などの写真集がベストセラーとなり、死の直前まで北海道でモモンガの撮影に挑んでいました。