「若気の至りだったんでしょうね」
ある日、番組収録前のスタジオで竹内まりやにこれからどうなりたいと訊ねたことがあった。自分の音楽が売れることは当然の願いだった。それに加えて、“有名になりたいの。街で、あっ、まりやだ!って言われるくらいにね”と言っていた。その夢は叶って、ついにはメディアへの露出さえも制限せざるをえなくなった。後年、竹内まりやと逢った時、その会話のことを話したら、“若気の至りだったんでしょうね”と語っていた。時は流れるものだし、時によって人は変わらざるを得ない。
この連載の第1回で登場した竹内まりやのA&Rマン、Tさんは彼女を気に入り、心の中で可愛がっていた。彼女の知名度もやや上がった頃、男性週刊誌からあるオファーがあった。週刊プレイボーイ、週刊平凡パンチなどが人気だった時代だ。オファーとは外国(と言ってもグアム島やサイパン島だったが)の浜辺で水着写真を撮り、グラビアにしたいというものだった。
あのユーミンでさえ、平凡パンチで水着写真を公開していた時代だ。だが、Tさんはこの話をどういうものだろうと相談したものの、竹内まりや本人には伝えなかった。Tさんはミュージシャンは音楽そのもので勝負すべきだという信念があったのだ。相談されたぼくも同じ思いがあったので止めたほうがいいと言った。ツイスター・ゲームくらいが限界だと思っていたからだ。竹内まりやはその人柄故に未完の大器だった彼女を守ろうとする人々を数多く産んでいたのだ。
岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。