キリスト教の普及とともに
【パンが日本に伝わったのはいつ?】
1543年に種子島に漂着した中国船に2名のポルトガル人が乗船しており、所有していた鉄砲(火縄銃)が日本に伝えられました。これが南蛮貿易のきっかけとなり、ポルトガル人を中心とする南蛮人が渡来するようになりました。
1549年にはフランシスコ・ザビエルが日本にやって来て、キリスト教を広めました。その後九州の諸大名や織田信長らの庇護も受け、キリスト教は順調に信徒を増やしていきました。キリスト教の儀式ではパンと葡萄酒はなくてはならないものでしたが、パンは日本でも生産できたため、キリスト教の普及とともにパンも大衆の中に浸透していったといいます。(参考[1]、p5)
【パンを最初に売り出したのは?】
キリシタン大名の大村純忠が長崎を教会領としてイエズス会に寄進したため、長崎は南蛮貿易の中心となりました。
『明治38年刊の長崎市役所編「幕府時代の長崎」によると、パンを含む長崎名産の南蛮菓子の元祖は元和時代(1615~1624年)に南蛮人から製法の伝授を受けて商売をはじめた伊藤小七郎なる人物だった』(参考[1]、p4)といいます。この時代、長崎ではパンはすでに決して珍しいものではなかったようです。
【パンが姿を消した鎖国時代】
島原の乱(1637~38年)以降、鎖国が始まり、キリスト教が禁止されると、日本全国に普及していたパンもほとんどその姿を消し去ったといいます。パンはキリスト教の儀式と不可分だったため、パンを食べることは隠れキリシタンと疑われても仕方のないことだったためです。(参考[1]、p6)