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O氏がさめざめと泣いたわけとは!?

名刺をひとめ見て、私は思い当たった。「T・O」──彼は名門駒場東邦中学の同級生だったのである。

そうと気付いてみれば、O氏は30年前の顔形とどこも変わってはいない。大柄な体も天然パーマも、そっくりそのままだ。

「おまえ、わかったぞ!」

と、私は叫んだ。とたんにO氏は肩で息をしながら壁ぎわまで後ずさった。

「Oだろ! そうだよな。おおっ、ここで会ったが百年目! 俺だよ、オレ、わかるだろ!」

わかるはずはなかった。紅顔の美少年そのままのOに引き較べ、私の頭はすっかりハげ、体は肥え、メガネをかけ、のみならず名前まで変わっちまっているのである。

自分で言うのも何だが、また挿絵からはにわかに想像できぬであろうが、私はかつて藤井フミヤとうりふたつの愛らしい少年だったのである。

「俺だァー、オレだよー! 思い出せ」

興奮のあまり胸ぐらを摑んでゆすり立てると、抵抗するO氏の腕からフッと力が脱けた。

「……もしや、○○?」

「そうだよ、そうだよ」

「……あの、ブラスバンドの? ……授業中にいつもエロ小説書いて回してきた……」

「そうそう。そんで今も小説書いてるんだ」

「日本史の時間に、石田三成が淀君を強姦するって小説書いて……ああ、あれは毎週連載だった……ううっ」

 O氏は私の腕を握ったまま、さめざめと泣いた。

「おい、何も泣くことないだろう。30年ぶりの邂逅がそんなに嬉しいか」

「……いや、そうじゃない。俺はきょうの昼間、『天切り松 闇がたり』を読んではからずも泣いてしまった。おまえの小説で泣いたと思うと、情けなくって涙が出る」

私たちはそれから、仲介の労をとってくれた編集者をほっぽらかして、夜の更けるまで旧交を温め合った。語るほどに、見つめ合うほどに、30年は1日のごとく思い起こされた。

かくて30年間行方不明、生死なお不明であった私は、O氏の呼びかけで開催されたクラス会に招かれることになるのであるが、その模様はまた後日に書く。

ところで、私の机上には常に2冊の辞書が置かれている。

1冊は最も新しく刊行されたもので、こちらの方は毎年のように買い替えられて行く。

もう1冊は昭和39年版の『広辞苑』で、これは30年間使いっぱなしのボロボロである。

最新版の辞書で情報を引き、古い辞書で言葉を引く。

日々めぐりあう新しい情報はかけがえないが、旧(ふる)い言葉はありがたい。思えば昭和39年は、私が中学に入学した年である。

(初出/週刊現代1996年11月9日号)

『勇気凛凛ルリの色』浅田次郎(講談社文庫)

浅田次郎

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブ

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