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「拳銃について」

戦場では役に立たないが、街中ではものすごく迷惑

当節流行のハードボイルドなる小説のジャンルは、いったい何を以てその定義とするのであろう。

正確かつてっとり早く言うなら、「拳銃の小説化ロマネスク」である。

登場人物はべつに過去のある老刑事でなくともよい。復讐を胸に秘めたヒットロマンでなくともよい。場末の酒場もバーボンも、どこか翳(かげ)りのある無口な女も、なくてはならぬというわけではない。

ただし拳銃が主人公の懐に収まっていなければ、話は始まらない。単純な思想、一途な目的、鋼(はがね)の量感、寡黙さ──ハードボイルドは「拳銃の小説化」なのである。

こうしてひとつの小説のジャンルになりうるぐらい、拳銃は古今東西を問わず男のロマンであった。そしてまさに社会問題となりつつある現状も、実はこのマニアックなあこがれの延長上にある、と私は思う。

かつて自衛隊在職中には、当然のことながら天下御免でこれをブッ放していた。まあ退職後もまんざら縁がなかったわけではないから、そこいらのコメンテイターよりは発言の資格があると思う。ただし根っから私小説は嫌いなので、今後ともハードボイルドは書かない。

そこで、先日、善良な市民の心胆を寒からしめた、青物横丁駅での医師射殺事件について私見を述べようか。

精神病歴を持つ男が、医師の正当な手術について被害妄想となり、行きずりのヤクザ者から拳銃を購入して凶行に至った、とマスコミは伝える。

果たして真実はそうだったのだろうか。どうも不自然さを感じる。被害妄想に陥るほど虚弱で神経質な性格と、進んで拳銃を購入する大胆さとの間に、ひどく矛盾を感じるのである。

こういう推測はどうだろう。男は被害妄想を抱く以前に、すでに何らかの形で拳銃を入手しており、夜な夜なその量感に酔いしれるうち、何者かに復讐すべきだという妄想を抱くようになった。つまり殺す相手は誰でも良かったのだが、殺すだけの理由を思い当る人間はおらず、たまたま持病のヘルニアは手術の後も痛み続けていた──。

拳銃を弄(もてあそ)んでみたり、他人に見せびらかして悦に入る人間は、えてして、というか、おしなべて虚弱なタイプである。そして拳銃の魔力とは、持てば持ったで撃ちたくなる、撃てば撃ったで「いっぺんでいいから」人に向けたくなる。この衝動はたとえば食欲や性欲と同じぐらい強い。拳銃を手にしたときの気持は、豪勢な料理を目の前にしたときとか、裸体の美女に手を触れてしまったときと、ほとんどちがいがない。

小説家の推理というより、体験上の憶測としてそう思うのだが、どうだろう。

彼自身のソフトウェアはともかく、事件のハードウェアについて語ろう。

そもそも拳銃というものは「補助兵器」であって、戦場ではほとんど役に立たないものだと自衛隊では教わった。これは確かである。

なぜかというと、小銃ライフルがほぼ300メートルの有効射程を持つのに対し、拳銃は10メートル先の標的でも容易には当たらない。したがって司令部内の将校とか、任務上かさばるライフルを携行できない砲手や通信手などが、主として護身用にこれを装備する。司令部のテントや砲座を急襲された場合、いわゆる彼我いり乱れた白兵戦のときのみ有効な武器というわけで、拳銃の兵器としてのコンセプトは実はそういうものなのである。

ということは、町なかでこれをブッ放すという行為は、殺意のどうこうに拘らずものすごく迷惑、かつ危険きわまりない。しかも、なめらかなタイル壁やコンクリート床の上では弾丸は不規則に跳ね回る(自衛隊ではこの迷走弾のことを「跳弾」といってたいへん警戒する)。おとついの方向の野次馬に当たっても、一発が三人を殺傷しても少しもふしぎはないのである。

ともあれこれからは、パンと音がしたらとっさに地べたにはいつくばって頭を抱えるという心構えは必要であろう。ニューヨークでは道ばたのバケツを蹴とばしたって五、六人はサッとしゃがみ込む(という話を聞いたのでためしにやってみた。本当であった)。

ちなみに、拳銃の発射音はドラマの効果につかわれる「バッキューン!」とはほど遠い。「パン」という短い破裂音である。

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おとなの週末Web編集部 今井
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